ドイツ系ユダヤ出自の詩人。本名アンチェルAntschel。生地は北部ルーマニアのチェルノフツィ(現、ウクライナのチェルニウツィ)。第二次世界大戦中、両親は強制収容所で死亡、自身も強制労働に従事する。戦後パリに学びフランス市民権を獲得。1959年以降パリ大学で教鞭(きょうべん)(ドイツ文学)をとるかたわら、ドイツ語での詩作・翻訳を続けたが、生涯ドイツには住まなかった。セーヌ川に投身自殺。作品は表現・題材ともにきわめて重く難解だが、確かな肉体感をもち奥行がある。シュルレアリスムや象徴主義の影響を受けた初期から、稀(き)(奇)語(ご)・造語を駆使して凝縮した詩世界をつくりだす後期まで、酷使とみえるほどにことばの能力が拡大され続ける。詩自体を状況化し、新たな現実への接近を求めるこの強靭(きょうじん)な言語意識は、徹底した現実批判・現実否定から生まれた。だが一方、伝達可能性の極限にまで詩を追い込みもした。素材は人類史、ユダヤ神秘思想、時事など多岐にわたる。詩集は『罌粟(けし)と記憶』(1952)、『言葉の格子』(1959)、『無者の薔薇(ばら)』(1963)、『息の転回』(1967)、『糸の太陽』(1968)、『光の強迫』(1970)など。ビュヒナー賞受賞講演「子午線」(1960)は良質の詩論である。フランス・ロシア・英・イタリア・ポルトガル・ヘブライ語など、量において作品に勝る詩の翻訳もまた彼が稀有(けう)なことばの遣い手であることを示す。
[檜山哲彦]
『飯吉光夫訳『ツェラン詩集』(1972・思潮社)』▽『飯吉光夫訳『迫る光』(1972・思潮社)』▽『飯吉光夫訳『雪の区域パート』(1985・静地社)』▽『飯吉光夫訳『パウル・ツェラン詩論集』(1986・静地社)』
詩人。ドイツ系ユダヤ人の子として,当時ルーマニア領(現,ウクライナ領)のチェルノフツィに生まれ,1948年以降,パリに住む。本名アンチェルPaul Ancel。その出自と来歴が,詩人に,ドイツ語にたいするある緊張・葛藤を強いたであろうことは,想像に難くない。70年,自殺。シュルレアリスムの影響をうかがわせる初期の幻想的な形象世界から,象徴主義の言語意識を批判的に継承した,中期の自虐的なまでの実験的試行を経て,後期の極度に凝縮された,異様なほどに晦渋な言語表現にいたる,その作品群は,第2次大戦中の強制収容所体験に根ざした個人史的事象や,ユダヤ神秘思想,時事的関心,ハイデッガーやアドルノとの関係など,さまざまな問題をはらむものである。それはまた,読者の側での,あるいは解釈学的,あるいはイデオロギー批判的受容に,如実に反映してもいる。その意味で,70年の彼の死は,ドイツ抒情詩の領域のみならず,広義のヨーロッパ〈近代〉,狭義の〈戦後〉を集約しきれぬままに,学生反乱をもって画される思想的状況の,その一時代の終りを象徴しているともいえよう。詩集《罌粟(けし)と記憶》(1952),《言葉の格子》(1959),《無神の薔薇》(1963),《糸の陽》(1968),《光の衝迫》(1970)などがある。また,バレリー,ミショー,エセーニン,マンデリシュタムら,多数の外国詩人の翻訳によっても知られる。
執筆者:平野 嘉彦
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