南太平洋の九つのサンゴ礁から成る島国。約26平方キロの国土に約1万1千人が暮らす。英植民地を経て1978年に独立。軍隊はない。産業に乏しく財政をオーストラリアに依存する。通貨は豪ドル。地球温暖化による海面上昇で国土が水没する可能性が指摘されている。2021年、当時のコフェ外相がスーツ姿で海水につかりながら、国土消滅の危機を訴える映像が話題になった。(シドニー共同)
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南半球の赤道のすぐ南に位置し、日付変更線の西側に隣接する小さな諸島国家。イギリスの植民地時代はギルバート・エリス諸島の一部をなし、そのエリス諸島が独立国ツバルとなった。九つの環礁島からなる国土はすべて合わせても26平方キロメートルにすぎず、隣国ナウルに次いで世界で四番目に小さい。人口は1万(2005年推計)、1万1126(2007年、ツバル政府統計)。1978年、ギルバート諸島を切り離して独立した。21世紀に入り地球温暖化議論が盛んになるなかで、水没の危機にある島として知れわたり世界中の注目を集めることになった。首都はフナフティ(フナフティ環礁のフォンガファレ島)。
[小林 泉]
南北560キロメートルに点在する九つの島はいずれも平坦なサンゴ礁島で、最高点でも海抜数メートル。陸地が少ないうえにサンゴ質の土壌は農耕には適さないために、バナナ、ココヤシ、いも類など数少ない食用植物が育つだけで居住可能人口は限られていた。首都が置かれているフナフティ環礁は3平方キロメートルで、その中の三日月状の最大陸地がフォンガファレ島で面積は0.88平方キロメートルである。これは東京ドーム19個分の広さであるが、ここに全国民の半数が居住し、飼育するブタも5000頭を超える。さらにこの狭い空間に、飛行場、政府庁舎、病院、学校等々の首都機能のすべてが集中しているので、その過密ぶりは日本をも上回る。
熱帯海洋性気候で、平均の年間降水量は3000ミリメートルと比較的多い。人々の暮らしはこの天水と環礁地下にたまったレンズ水(サンゴ礁に浸透した雨水が、比重差によって海水の上に薄くレンズ状に浮いた状態の水)からくみ上げる井戸に頼っている。
東半球の東端に位置するが、住民は文化的・民族的にもポリネシア人である。イギリスに一括植民地統治されていた隣国キリバス(ギルバート諸島)と分離独立したのも、ミクロネシア人と一つの国家を建設することに抵抗があったからである。ポリネシア人の団結、これが「八つの集団」を意味するツバルという国名になった。島は九つあるが、最南端のニウラキタは無人島であった。
[小林 泉]
1568年、スペインの探検家アルバロ・デ・メンダーニアがヌイ島に上陸したのが西洋人による最初の記録である。その後、次々とほかの島々も確認されていったが、1819年にはアメリカ人探検家デ・パイスターがフナフティ環礁を知り、船主の名にちなんでエリス島と命名した。このあたりは19世紀中盤に行われた奴隷貿易の舞台となり、主として男たちがペルー、ハワイ、タヒチなどに労働力として強制移民させられた歴史をもつ。1892年、イギリスはギルバート諸島とともに保護領化し、さらに1915年にギルバート・エリス諸島として植民地化した。
イギリスが保護領化した当時の報告書には、フナフティ環礁のフォンガファレ島は大半が湿地帯で、200人程度が住んでいたとある。アメリカがこの湿地帯に海兵隊を送り込んでわずか5週間で簡易埋立て舗装の滑走路を造成したのは太平洋戦争中の1942年、隣のギルバート諸島まで進軍してきた日本軍に対抗するための緊急措置であった。独立時にフォンガファレ島に首都を置くことにした最大の理由は、他地域との窓口となる飛行場があったからである。
1970年代、イギリスは太平洋島嶼(とうしょ)地域の植民地を独立させる政策をとった。その際にエリス諸島住民は、ミクロネシア人が住むギルバート諸島との一括独立を嫌い、住民投票により分離の道を選択し、1978年ポリネシア人の国ツバルが誕生した。
[小林 泉]
政体はイギリス女王(国王)を国家元首とする立憲君主制で、ツバル人の総督がこれを代行する。議院内閣制を採用し、国会は一院制で議席数は15、議員の任期は4年。政党はなく、国内に政策路線の異なる政治対立もないかわりに、出身地域利害や人間関係の好みによる政治グループが形成されやすく、これが国内政治を不安定にしている。イギリス連邦加盟国。
近年、水没の危機にひんした国として国際的に注目を集め、首相は外国や国際機関から援助を取り付ける手腕が問われており、地球環境問題に関連する各種国際会議で積極的にアピールする機会も増えている。2000年には国連に加盟し、国連本部のあるニューヨークに常駐の国連大使を送っている。
[小林 泉]
従来の国民生活は自給自足の非貨幣経済下にあったため、税収では国家財政の維持はできない。そこで、信託基金の運用益、排他的経済水域内の入漁料、ドメインコード「.tv」使用権貸出料、切手販売収入、外国からの援助などをおもな政府財源としている。国民は、公務員や政府関連事業での給与収入、出稼ぎ労働者の本国送金、コプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの)や若干の漁獲収入で生計を立てている。首都周辺の生活物資は、ほとんどが輸入製品であるため物価は高い。国連データによると国民1人当りのGNI(国民総所得)は3213ドル(2009)であるが、国内にみるべき産業実態がないことや首都圏以外では自給的農漁業への依存度が高い社会なので、現金所得水準から経済実態を把握するのは難しい。むしろ原初的な富(自然資産)と送金に支えられて、人々の暮らしは平和で豊かにさえみえる。
ところが、実際には独立以来の近代化路線がこの国の将来に不安と危機を招来させている。1973年には871人であったフナフティの人口が2011年時点では5000人超となり、廃棄物の増大、海洋汚染、住居地不足等々がさまざまな問題を引き起こしているからである。海岸の浸食や床上浸水も、温暖化による海面上昇の影響よりも過剰人口による直接的な環境破壊行為が原因であるといわれている。大潮のときに地面から水が噴き出す現象は、アメリカ軍が簡易埋め立てして造成した飛行場近辺では1950年代から続いていた。そこで政府は、開発の一極集中の弊害を是正するため、離島開発やニュージーランドなどへの海外居住の道を探ろうとしている。フナフティ環礁に集中する都市化への波を食い止めなければ、本当に水没しかねないとの危機感があるからである。使用通貨はオーストラリア・ドル。
言語は英語、ツバル語が使われており、宗教はキリスト教プロテスタント。
教育は、7歳から就学する初等教育7年間が義務教育であり、後半からは完全に英語での教育に移行する。その後は6年制の中学校が設けられている。国内の高等教育機関としては、南太平洋大学(本校はフィジー)の分校とオーストラリアの援助で建てられた船員養成学校がある。
[小林 泉]
太平洋戦争時、フナフティ環礁はアメリカ軍が飛行場を建設して日本軍と対峙(たいじ)していたため、日本軍の爆撃を9回ほど受けている。その後の交流はほとんどなかったが、日本は1978年(昭和53)のツバル独立とともに国家承認し、翌1979年には外交関係を樹立した。日本のODA(政府開発援助)拠出は無償資金協力・技術協力をあわせ2009年(平成21)までの累積で82.03億円が実施された。管轄公館は駐フィジー日本大使が兼轄している。
民間部門では、2009年実績でツバルから日本への輸出は、おもに魚貝類8000万円と小規模であるが、漁業協定を締結して日本漁船が操業するなどの関係が続いている。日本からの輸入は65億円である。日本には、東京と大阪にそれぞれ独自の民間交流活動を進めるツバルとの友好協会がある。
[小林 泉]
『もんでん奈津代著『子連れ南の島暮らし』(2010・人文書院)』▽『技廣淳子・小林誠著『笑顔の国、ツバルで考えたこと』(2011・英治出版)』
基本情報
正式名称=ツバルTuvalu
面積=26km2
人口(2010)=1万人
首都=フナフティFunafuti(日本との時差=+3時間)
主要言語=ツバル語,英語
通貨=オーストラリア・ドルAustralian Dollar
南太平洋,ポリネシアの西端,南緯5°~11°,東経176°~180°に存在する九つの環礁からなる独立国。バチカン,モナコ,ナウルに次いで4番目に小さい国である。旧称エリス諸島Ellice Islands。
最北の島から最南の島まで560kmにも及ぶが,総面積は25.9km2にしかすぎず,最大のバイトゥプ島で5.6km2,最小のニウラキタ(ヌラキタ)島は0.5km2である。環礁であるため標高は低く,最高点でも5mをこえない。フナフティ島とヌクフェタウ島を除けば,礁湖の入口は狭く大型船が入れないばかりか,近づくのも難しいことが多い。熱帯性の気候でおおむね高温多湿であるが,11月から2月の雨季以外は北東貿易風が吹いて比較的しのぎやすい。降水量は場所によっても年によっても異なるが,平均して年間3000mmほどで,水不足で困ることはない。サンゴ質の土壌であるため植生には限界があり,農作物はココヤシ,バナナ,パンノキなどに限られるが,場所によってはタロイモも栽培可能である。唯一の野生動物としてネズミがいる。
文化的にも人種的にもポリネシア系に属する。ツバル語は言語的には南東のサモア語に最も近いが,北部の四つの島は隣接するキリバス(ギルバート諸島)からの影響を受けており,方言が存在する。早くより西欧人との接触があったため,混血化が進み,その血をひく者が多い。人々の生活は半自給自足的であり,パンノキ,バナナ,タロイモなどの栽培および漁労により食物を得る一方,コプラ生産や出稼ぎにより現金を得ている。出稼ぎはもっぱらリン鉱石の採掘で名高いナウル島で行われ,最近は現金収入の手段としてはコプラ生産よりも盛んになっている。1860年代に主としてサモア経由でキリスト教(新教)を受容し,今日ではほとんどの人がサモア(旧,西サモア)に本部を置く会衆派教会に属している。西欧との接触以前4000人いたと推定される人口も,奴隷船による誘拐や新しい病気などでやや減少したが,近年は増加が著しい。全人口の45%が首都のあるフナフティ島に集中している。
執筆者:山本 真鳥
1568年スペインの探検家メンダーニャが一部の島を発見したが,その後約200年間は忘れられた存在であった。18世紀後半に再発見され,19世紀前半からは捕鯨船が立ち寄るようになった。1861年ロンドン伝道協会によってキリスト教の布教が開始され,77年フィジーにあったイギリスの高等弁務官の統治下に置かれた。92年ギルバート諸島とともに保護領とされ,1915年にはギルバート・エリス植民地となった。第2次大戦中,アメリカ軍がナヌメア,ヌクフェタウ両島に飛行場をつくり,対日戦の足場とした。75年ミクロネシア系住民の住むギルバート諸島から分かれてツバルと改称し,78年10月1日,イギリスから独立した。
イギリス国王を元首とする立憲君主国で,イギリス連邦の一員である。任期4年の12人の議員からなる国会があり,互選で首相を選ぶ。政党はなく,首相に推された議員が派閥をつくり,内閣を組織する。派閥の消長によって首相が交代する。伝統的に反共外交をとる。南太平洋フォーラム(SPF)のメンバーであり,国連には2000年9月に加盟した。オーストラリア,日本,ニュージーランドがツバルへの三大援助国。環礁が標高5m前後なので,地球温暖化による海面上昇には敏感で,他の島嶼国とともに二酸化炭素排出量の20%削減を強く主張している。
資源に乏しいので製造業はなく,自給できる魚とココナッツ以外は輸入物資に頼っている。独立後もイギリスの財政支援を求めたが,永続的な支援は望めないので,1987年にツバル政府はイギリス,オーストラリア,ニュージーランド政府と〈ツバル信託基金〉に関する協定を結んだ。先進国は1回限りの援助という形で,援助される側のツバルも,それぞれ基金を拠出し,独立した国際援助機関として国際金融市場でその基金を運用,その収益でツバル財政を補う仕組みで,信託方式の経済援助は世界でこれが初めて。当初の基金は2710万オーストラリア・ドルで,のちに日本,韓国も拠出国となり,96年には4500万オーストラリア・ドルに成長した。
フナフティに1979年,海員訓練学校ができ,甲板員,機関士,調理士を養成している。外国船に乗り組み,給与などを母国に送金するが,これがツバル居住者を支えている。また,外国で印刷した魚貝類を絵柄とする切手は収集家に人気があり,政府の財源になっている。外国漁船の入漁料も重要な財源で,日本は86年から漁業協定を結び,キハダマグロを輸入している。95年度までに日本は約25億円の無償援助,技術協力を行った。東京にツバル名誉総領事館がある。
執筆者:青木 公
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