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ティサ ティサTisza István

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ティサ
Tisza István

[生]1861.4.22. ペスト
[没]1918.10.31. ブダペスト
ハンガリーの政治家。貴族の出身 (伯爵) 。ティサカールマーンの子。 1886年ハンガリー議会議員となり,自由党の指導者となった。 1903年首相に就任。その強引な政治により不人気を招き,翌年辞任。自由党解党後,国民勤労党を結成。 13年首相に再任。オーストリア皇太子暗殺 (1914) 後,対セルビア宣戦布告に御前会議で最初反対したが,結局黙諾。ハンガリーの戦時体制を整備したが,新皇帝カルル1世と参政権について対立して辞任 (17) 。第1次世界大戦の敗戦後,革命下に暗殺された。

ティサ
Tisza Kálmán

[生]1830.12.16. ゲスト
[没]1902.3.23. ブダペスト
ハンガリーの政治家。カルバン派の大貴族の出身。 1848年革命ではバチャーニュ政府に宗教・教育相として参加。 61年国会議員となり,自由党を創設 (1875) 。 75~90年首相に就任。長期にわたる首相在任中は,経済から法律にいたる数々の改革を行なったが,政権維持のために,少数民族,農民,労働者を無視した反動政治を実施。 90年オーストリア皇帝の干渉に抗議して辞任したが,党内にあって政治勢力を保持した。

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世界大百科事典 第2版の解説

ティサ【Tisza István】

1861‐1918
ハンガリーの保守政治家。大土地所有貴族の出で,ティサ・カールマーンの息子。1867年以降のアウスグライヒ体制と独墺同盟の維持を目標とし,第1次世界大戦前の20年余りの政界を牛耳る。1903‐05年に首相。12年から下院議長として軍拡案を通過させ,13年に再び首相。第1次大戦への参戦には慎重であったが,結局賛成する。あらゆる改革に反対して新帝カールにより解任され,18年10月のハンガリー革命期に暗殺された。

ティサ【Tisza Kálmán】

1830‐1902
ハンガリーの保守政治家。大地主貴族の出で,1848年革命後の初代ハンガリー内閣の宗教・公教育相。独立戦争敗北後亡命。61年国会議員となる。67年のアウスグライヒ(妥協)のときにはデアークと対立したが,その後見解を変え,75年にデアークらと合同して自由党を結成。同年10月から90年3月まで首相。オーストリア・ハンガリー二重帝国体制の安定化に努めた。【南塚 信吾】

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