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デタント 〈フランス〉détente

デジタル大辞泉の解説

デタント(〈フランス〉détente)

《緩和の意》緊張緩和。特に、第二次大戦後、冷戦とよばれる対立関係にあった米ソ両国や欧州の東西両陣営が、1970年代に平和的共存を目指して試みた協調的な動きをいう。

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百科事典マイペディアの解説

デタント

緊張緩和の意。1962年のキューバ危機を契機にフランスのド・ゴール大統領が東西関係において達成されるべき発展過程をデタント,アンタント(相互理解),コーペラシヨン(協力)と表現して以来用いられるようになった。
→関連項目ソビエト連邦平和共存

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世界大百科事典 第2版の解説

デタント【détente】

国際関係の緊張緩和を指す用語。デタントはフランス語で本来〈弛めるdétendre〉という行為と,その結果生まれた〈弛んだ〉という状態とを意味する。
[デタントの多義性]
 1962年10月のキューバ危機を契機に,フランスのド・ゴール大統領が東西関係において達成されるべき発展過程を,デタント,アンタントentente(相互理解),コーペラシオンcooperation(協力)と表現して以来,広く用いられるようになった。

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大辞林 第三版の解説

デタント【détente】

〔「緩和」の意〕
国際関係における対立や緊張が減少していく状態。特に、1960年代後半以降、79年のソ連によるアフガニスタン侵攻までの米ソ間の関係をいう。緊張緩和。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

デタント
でたんと
dtenteフランス語

国際関係における緊張緩和のことをいうが、国際政治史のうえでは1970年代の米ソ(アメリカとソ連)の和解と、それに伴うヨーロッパでの東西協調の実現のことをさす。第二次世界大戦後の米ソ関係は1955年のジュネーブ四大国首脳会談前後を例外として、1950年代後半のミサイル競争、1960年のU‐2型機撃墜事件、1962年のキューバ危機と緊張状態が続いた。しかしこのころからフランス、中国が米ソ二極支配に反発、加えてアメリカはベトナム戦争の泥沼化で、またソ連も中ソ対立によって、それまでの二大陣営内の米ソの優位が崩れた。このため米ソは1963年の部分的核実験停止条約の調印を機に急速に和解に向かい、1968年の核不拡散条約、1970年の米ソ戦略兵器削減交渉(SALT)の開始、1972年のニクソン米大統領の訪ソとSALT‐協定の調印、1973年のブレジネフ・ソ連書記長の訪米と核戦争防止協定の調印という形で、予期せぬ協調関係が展開した。
 こうした情勢を受けてヨーロッパにも緊張緩和が醸成され、1970年にソ連・西ドイツ間の武力不行使条約とポーランド・西ドイツ間の国交正常化条約が成立、また戦後対立が続いていた東西ドイツ間にも1972年に国家関係基本条約が調印され、両国は1973年国連同時加盟を実現した。こうして米ソの緊張緩和と東西ヨーロッパの和解は1975年のヘルシンキにおける全欧安保協力会議の開催と1979年の米ソ第二次SALT協定の調印で最高潮に達した。しかし1980年代に入るとふたたび米ソの関係は悪化し(第二次冷戦)、1970年代のデタントに終止符が打たれた。[藤村瞬一]

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世界大百科事典内のデタントの言及

【冷戦】より

…しかしこの40年以上の時期は,高度に緊張した米ソ関係が続いたのではなく,緊張が緩んだ時期がそれに続いてきたといえる。この緊張が緩んだ時期を〈デタント(緊張緩和)〉の時期という。 ここでは,まず〈構造としての冷戦〉を,続いて〈状況としての冷戦〉を説明する。…

※「デタント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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