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デビッソン Clinton Joseph Davisson

百科事典マイペディアの解説

デビッソン

米国の物理学者。シカゴ大学でミリカンの指導を受け,1913年渡英してJ.J.トムソンのもとで研究,1917年―1946年ベル電話研究所員。1927年L.H.ジャーマーと電子線の散乱実験(デビッソン=ジャーマーの実験)を行って電子の波動性を実証。

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世界大百科事典 第2版の解説

デビッソン【Clinton Joseph Davisson】

1881‐1958
アメリカの物理学者。イリノイ州の生れ。1902年にシカゴ大学に入学,R.A.ミリカンの影響を受けながら物理学を学ぶ。05年プリンストン大学講師となり,O.W.リチャードソンの指導の下に,アルカリ土類金属からの陽イオンの熱放出について研究し,プリンストン大学で博士号を取得した。戦時徴用で勤め始めたウェスタン・エレクトリック会社(のちのベル電話研究所)で,19年に金属による電子の弾性散乱の実験的研究を開始,27年にジャーマーLester Halbert Germer(1896‐1971)と共同で,ニッケルの単結晶板による電子線の回折現象を発見し,ド・ブロイの物質波の理論を検証することとなった(この実験はデビッソン=ジャーマーの実験と呼ばれている)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

デビッソン
でびっそん
Clinton Joseph Davisson
(1881―1958)

アメリカの物理学者。イリノイ州の出身。シカゴ大学に入学後、経済的理由からパーデュ大学助手、プリンストン大学非常勤講師、O・W・リチャードソンの助手として生計をたてるかたわら、1908年母校で理学士を修め、1911年プリンストンで学位を取得した。その後カーネギー研究所物理学准教授を経て、1917年ウェスタン・エレクトリック・カンパニー研究所(後のベル研究所)工学部門の遠隔通信の軍事研究に参加した。第一次世界大戦後も研究所に残り、熱イオン学および金属の電子放出の基礎研究に従事した。1924年以来ガーマーLester H. Germer(1896―1971)と共同して、一連の電子の放出と散乱の実験的研究を行い、1927年ニッケル結晶による電子線の回折を発見、電子の波動性を実証した。1937年、同様の成果をあげたG・P・トムソンとともにノーベル物理学賞を受けた。その後、引き続き電子光学と結晶物理学の研究をする一方、電子顕微鏡の開発に尽くした。1946年ベル研究所を辞め、バージニア大学客員教授に就任した。[兵藤友博]

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世界大百科事典内のデビッソンの言及

【電子】より

…ただしエレクトロンの名は,1891年G.J.ストーニーが,自然界に存在する電荷の量はある量(電気素量)より小さくは分解できないことを見いだし,この電気素量に対して命名したものである。 電子の本質は質点ではなく波動であり,電子が波動性を示すことは,1923年ド・ブロイによって仮説として提唱され,27年アメリカのデビッソンClinton Joseph Davisson(1881‐1958)らが,ニッケル結晶面による電子線の回折現象を発見したことで実証された。したがって電子は光と同じように干渉,回折などの現象を示し,シュレーディンガー,あるいはディラックの波動方程式で記述される。…

※「デビッソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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