トヨタ自動車(読み)トヨタじどうしゃ

百科事典マイペディア 「トヨタ自動車」の意味・わかりやすい解説

トヨタ自動車[株]【トヨタじどうしゃ】

世界トップの自動車メーカーで,売上高で日本最大の企業。1937年豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)から分離,1950年代から急成長した。全車種を手がけ,2008年は世界で897万2000台を販売,世界シェアで米国ゼネラル・モーターズを抜いて一位となった。日野自動車ダイハツ工業,豊田車体,デンソーなどの諸会社を傘下にもつ。1982年トヨタ自動車販売を合併,トヨタ自動車工業をトヨタ自動車と改称。米国ゼネラル・モーターズと提携するほか,米国,カナダ,英国,中国,東欧などにも工場を建設。1998年ダイハツ工業を,2001年日野自動車を子会社化。2004年,純利益が1兆円を超え,その後も拡大路線で利益拡大を続けたが,2008年,米国の金融危機に端を発する世界同時不況と急激な円高の直撃を受けて大幅な売上げ減少,一気に生産削減に追い込まれ,58年ぶりに赤字転落し,規模と影響力の大きさからトヨタショックと呼ばれた。さらに,2010年3月,米国で,ハイブリッドカー・プリウスのブレーキ電子制御の欠陥問題に端を発したトヨタ車の品質問題が浮上,米議会公聴会で豊田章男社長らが,欠陥隠しやリコールの対応の遅れなどを厳しく追及され,米国運輸省に過去最大といわれる15億円の制裁金を課せられた。トヨタ複数の車種で大規模なリコールを余儀なくされ,技術と品質の良さを看板に世界一の座についたトヨタにとって大きな打撃となった。経営戦略全般の抜本的な見直しを迫られている。本社豊田市,工場豊田市ほか。2011年資本金3970億円,2011年3月期売上高18兆9936億円。当期純利益4081億円。売上構成(%)は,自動車91,金融6,その他3。
→関連項目アイシン精機[株]愛知[県]かんばん方式企業城下町小糸製作所[株]光洋精工[株]国際証券[株]自動車工業千代田火災海上保険[株]デンソー[株]豊田[市]豊田英二豊田佐吉豊田通商[株]ビッグ・ビジネスミッドランドスクエア

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改訂新版 世界大百科事典 「トヨタ自動車」の意味・わかりやすい解説

トヨタ自動車[株] (とよたじどうしゃ)

日本で首位の自動車メーカーで,世界でもトップクラスの自動車会社。本社,愛知県豊田市。

 1933年豊田佐吉の長男喜一郎が豊田自動織機製作所に設置した自動車部が前身。37年その自動車部が分離独立してトヨタ自動車工業(株)が発足,社長には佐吉の養嗣子利三郎が就任した。トラック,乗用車の量産体制を整えたが,第2次大戦のため軍需関連のトラックの増産が奨励され,乗用車,バスの生産は制限を受けた。また44年からは飛行機などの兵器の生産を行うようになった。戦後,46年に小型乗用車,小型トラックの試作を始めた。一方GHQはトラックについては1945年9月,乗用車については47年6月に製造許可を出し,トヨタ自動車工業も47年から小型乗用車の生産を再開した。48年から49年にかけての金融引締めによるデフレと労働争議のため,経営は苦境に立たされた。この間販売部門の強化拡大のため50年にトヨタ自動車販売(株)を設立した。50年6月に始まった朝鮮戦争による特需と輸出拡大により苦境を乗りきった。62年には,必要な部品を必要なときに必要な量だけそろえるという方式を徹底した,いわゆる〈かんばん方式〉を採用し,内外の企業に影響を与えた。また66年に日野自動車工業,67年にダイハツ工業と業務提携を結び,事業の多角化のため77年にはトヨタホームを発表,住宅部門に進出した。82年には生産と販売の機能を統一して企業活動を効率化するため,トヨタ自動車工業(株)とトヨタ自動車販売(株)が合併しトヨタ自動車(株)が設立された。その後84年には世界トップのアメリカのゼネラル・モーターズ(GM)社との合弁会社New United Motor Manufacturing Inc.をアメリカに設立した。1973年には学術研究,社会福祉などに関する事業を援助するためのトヨタ財団を設立している。

 アメリカのほかカナダ,イギリス,中国,東欧にも工場を建設,生産台数においてGMに迫り,世界首位をうかがう勢いである。資本金3971億円(2005年9月),売上高18兆5515億円(2005年3月期)。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「トヨタ自動車」の解説

トヨタ自動車
トヨタじどうしゃ

日本最大の自動車メーカー。豊田自動織機製作所で自動車製造の研究開発を開始した豊田喜一郎は,1933年(昭和8)に自動車部を設置,35年乗用車,ついでトラックの試作に成功,37年製作所から自動車部門を分離独立させてトヨタ自動車工業を創立した。第2次大戦中は軍用トラックや軍用機などの製造を行ったが,戦後民需への転換を進め,55年純国産車トヨペットクラウンを発売し,72年には年間生産200万台を突破,世界有数の自動車メーカーに成長した。50年4月以来分離独立していた販売部門のトヨタ自動車販売を,82年7月に吸収合併し,トヨタ自動車と改称。2014年(平成16)には世界で初めて販売台数1000万台を突破した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

日本の企業がわかる事典2014-2015 「トヨタ自動車」の解説

トヨタ自動車

正式社名「トヨタ自動車株式会社」。英文社名「TOYOTA MOTOR CORPORATION」。輸送用機器製造業。昭和12年(1937)「株式会社豊田自動織機製作所」から分離独立し「トヨタ自動車工業株式会社」設立。同57年(1982)現在の社名に変更。本社は愛知県豊田市トヨタ町。自動車会社。自動車販売のシェア世界トップクラス。子会社に日野自動車ダイハツ工業など。東京(第1部)・名古屋(第1部)・札幌・福岡・ニューヨーク・ロンドンの各証券取引所上場。証券コード7203。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

世界大百科事典(旧版)内のトヨタ自動車の言及

【愛知[県]】より

…こうした古くからの伝統をもつ軽工業優位の工業地帯は,第2次世界大戦中の軍需工業地帯の時期を経て,戦後,名古屋港南部埋立地に製鋼工場,石油コンビナート,火力発電所などの建設をみたことにより,重化学工業地帯として変貌していった。1937年刈谷の自動織機から発展して挙母町(のち市)に進出したトヨタ自動車の本社は,翌38年に挙母工場(現在の本社工場),59年には元町工場を設立して,市名が豊田市と改称されるほどの躍進をみせた。さらにこの豊田市における自動車工業の拡充発展により,愛知県は自動車王国として知られるに至った。…

【自動車産業】より

…一方,日産コンツェルンでは戸畑鋳物と日本産業との共同出資によりダットサンの製造営業権を継承して1933年自動車製造を設立,34年に日産自動車と改称した。また豊田自動織機製作所では1933年自動車部を設立し,37年にトヨタ自動車工業(現,トヨタ自動車)として独立させた。ここに現在の日本の二大メーカーが出そろうわけである。…

【豊田自動織機製作所[株]】より

…そこで30年ころから同社の工場で自動車の研究が進められ,33年に自動車部が設置され,35年乗用車第1号(A1型)が完成した。37年同社の自動車部門は分離され,トヨタ自動車工業(株)(現,トヨタ自動車)として設立された。 豊田自動織機(株)は第2次大戦中は軍需生産を余儀なくされたが,戦後は再び紡織機,自動車部品の生産に転換,とくに昭和30年代の初めあたりからは自動車エンジン,フォークリフト,カークーラー用コンプレッサーなどの多角化を積極的に推し進めた。…

※「トヨタ自動車」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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