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豊田英二 とよだえいじ

知恵蔵miniの解説

豊田英二

実業家。トヨタ自動車工業株式会社社長、会長、最高顧問、社団法人日本自動車工業会会長などを歴任した。1913年9月12日、愛知県西春日井郡金城村に織物実業家豊田平吉の二男として生まれる。現トヨタグループの基礎を築いた豊田佐吉は伯父。36年、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業後、豊田自動織機製作所に入社。翌年、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の分離独立に伴い転籍した。45年、同社取締役に就任。常務、専務を歴任し、67年10月、社長に就任。以降、82年6月まで社長を務め、トヨタの代名詞ともなった生産革新「カンバン方式」の確立に携わり「トヨタ中興の祖」と呼ばれた。82年、豊田章一郎に社長職を譲り会長となる。92年、会長を退任、名誉会長となる。94年、米国自動車殿堂入り。95年、イギリス機械学会よりジェームズ・ワット国際金賞を受賞。99年、米国の週刊誌「タイム」で「今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人」の1人に選出された。99年以降、同社最高顧問。83年に勲一等瑞宝章を、90年に勲一等旭日大綬章を授賞。2010年2月より体調を崩し、13年9月17日、心不全で死去。享年100。

(2013-9-19)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

デジタル大辞泉の解説

とよだ‐えいじ【豊田英二】

[1913~2013]実業家。愛知の生まれ。佐吉の甥。昭和42年(1967)トヨタ自動車工業社長に就任。昭和57年(1982)よりトヨタ自動車会長。カンバン方式を確立し、自動車産業の発展に貢献した。

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百科事典マイペディアの解説

豊田英二【とよたえいじ】

実業家。トヨタ自動車工業株式会社社長(第5代),トヨタ自動車株式会社会長(初代)。愛知県西春日井郡金城村(現名古屋市西区)に豊田佐吉の弟豊田平吉の二男として生まれる。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

豊田英二 とよだ-えいじ

1913-2013 昭和後期-平成時代の経営者。
大正2年9月12日生まれ。豊田佐吉の甥(おい)。昭和11年豊田自動織機に入社。自動車づくりに参画。トヨタ自動車工業創設とともにうつり,国産技術による生産を推進。42年社長となり,世界の自動車生産の10%を目ざす「グローバル10」をかかげ規模を拡大。トヨタ自動車販売との合併を実現して57年会長。平成4年取締役名誉会長,11年最高顧問。平成25年9月17日死去。100歳。日本自動車工業会会長,経団連副会長もつとめた。愛知県出身。東京帝大卒。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

豊田英二
とよだえいじ

[生]1913.9.12. 愛知
[没]2013.9.17. 東京
実業家。トヨタ自動車最高顧問。豊田佐吉の甥。トヨタ自動車が「世界のトヨタ」になる道を開いた人物としてトヨタ中興の祖と呼ばれる。1936年に東京帝国大学工学部を卒業後,豊田自動織機製作所(→豊田自動織機)に入社。配属された自動車部が翌 1937年トヨタ自動車工業となる。1945年同社取締役に就任。自動車生産の陣頭指揮にあたり,その後の発展の基礎をつくるとともに,戦後の経済復興,高度成長にも大いに貢献した。1967年社長に就任。1982年,その後の飛躍の基盤となるトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の統合を導き,トヨタ自動車初代会長に就任。1992年名誉会長,1999年最高顧問につく。その間,業界団体や財界活動でも中心的な役割を果たし,1972~80年日本自動車工業会会長,1984~90年日本経営者団体連盟副会長を務めた。1994年アメリカ自動車殿堂入りした。1971年藍綬褒章,1990年勲一等旭日大綬章を受章。

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