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トリエステ Trieste

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

トリエステ
Trieste

セルボ=クロアチア語ではトルスト Trst,ドイツ語ではトリエスト Triest。イタリア北東部,フリウリベネチアジュリア州の州都,港湾都市。トリエステ県の県都を兼ねる。ベネチアの東北東約 120km,ベネチア湾奥,スロベニアとの国境付近に位置する。前 177年頃ローマ支配下に入り,のち港と城壁が建設された。 1202年ベネチアの,1382年オーストリアの支配を受け,1719年神聖ローマ帝国の直轄都市となった。 1918年以後イタリア領となったが,第2次世界大戦時には相次いで外国軍に占領された。戦後その帰属をめぐってユーゴスラビア,イタリア間に対立があったが,54年イタリア領が確定。同時に港は自由港となり,その後,貿易額はふえている。木材などが輸出され,石油,工業原料などが輸入される。また造船,製鉄,石油化学などの工業も盛ん。石油パイプラインがオーストリアやドイツの製油所まで延びている。市内には古代ローマの神殿跡に建てられた城 (1470~1680。現博物館) ,14世紀に建てられたサンジュスト聖堂などがある。リルケの詩で有名なドゥイノ城も近い。人口 20万5535(2011推計)。

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デジタル大辞泉の解説

トリエステ(Trieste)

イタリア北東部の港湾都市。アドリア海北岸にあり、工業が盛ん。トリエステ地方は14世紀以来オーストリア領。第一次大戦後イタリア領となり、第二次大戦後、1954年にロンドン協定で、北部と港はイタリア領、南部はユーゴスラビア(現スロベニア共和国)領となった。

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百科事典マイペディアの解説

トリエステ

イタリア北部,フリウリ・ベネチア・ジュリア州の州都。アドリア海に面する港湾都市。古代ローマの植民地として繁栄。10世紀に自治都市となる。1382年ハプスブルク家の治下に入り,のちオーストリア領となって海運業が栄えた。
→関連項目フリウリ・ベネチア・ジュリア[州]

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世界大百科事典 第2版の解説

トリエステ【Trieste】

イタリア北東部,フリウリ・ベネチア・ジュリア州の州都で同名県の県都。アドリア海に面した港湾都市。人口25万1380(1981)。ケルト人によって建設され,前1世紀ころローマ人の支配下に入り,2世紀にトラヤヌス帝が,地中海と中央ヨーロッパの接点にあたるこの都市を港として発展させた。古名はテルゲステTergeste。948年にイタリア王ロタリオ2世によって独立を認められ,自治都市となった。一時ベネチアの支配に屈したこともあったが,1382年ハプスブルク領となり,オーストリア帝国の海への出口として重要な役割を担った。

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大辞林 第三版の解説

トリエステ【Trieste】

アドリア海北部、イタリアとスロベニアとの国境にあるトリエステとその周辺の地域。第一次大戦まではオーストリアの支配。その後イタリア領。第二次大戦後その帰属をめぐって紛争がおき、1954年トリエステ市をイタリアに、イーストラ半島をユーゴスラビア(現スロベニアおよびクロアチア)に分割し、紛争を解決。
イタリアの北東端部にある港湾都市。アドリア海の北部に面し、中部ヨーロッパを控えた商港。造船・機械・精油などの工業が盛ん。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

トリエステ
とりえすて
Trieste

イタリア北東部、フリウリ・ベネチア・ジュリア自治州の州都で、港湾・工業都市。人口20万9520(2001国勢調査速報値)。アドリア海の北部、潟湖(せきこ)グラード湖とクロアチアのイストラ半島との間に挟まれたトリエステ湾の奥に位置し、スロベニアとの国境付近を占める。精油、造船、製鉄、化学、薬品、製紙、食品など多方面にわたる工業が行われている。トリエステ港は、国際的な貨物の取扱い量ではイタリア第2位(1978)であったが、オーストリア向けの港湾業務を停止、かつての活気はみられない。輸入された石油は、パイプラインによってオーストリアやドイツにも運ばれる。市街はサン・ジュストの丘を中心に広がり、14世紀のサン・ジュスト大聖堂、1470年から1630年にかけて建てられた城、1938年に発掘された古代ローマの劇場、市立歴史・美術博物館、1924年創設の大学などがある。近郊のミラマーレには、ハプスブルク家のマクシミリアン大公によって築かれた広い庭園と城(1856~1860建設)がある。冬、ボラとよばれる冷たい北東風が、台風のような激しさで吹き荒れることで知られる。[堺 憲一]

歴史

ケルト人によって建てられたといわれ、紀元前2世紀にはテルゲステTergesteとよばれるローマの植民地となった。西ローマ帝国の末期にキリスト教が普及した。中世には、ランゴバルド王国、東ローマ帝国、フランク王国によって順次その支配下に置かれた。1060年からコムーネ(自治都市)となるが、15世紀以後はハプスブルク家の支配下に置かれた。1719年に自由港が建設されて商人や職人が集まるようになり、オーストリア・ハンガリー帝国の主要な商業の中心地となった。フランス革命後、1797年、1805年、1809~1813年の三度にわたってフランスが支配したが、その後はオーストリア支配に戻り、1897年からはオーストリア議会に議員を送った。このころから、この地域の住民であるイタリア人とスラブ人との間の対立が激化するようになり、イタリアと旧ユーゴスラビアの係争地となった。[藤澤房俊]

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