改訂新版 世界大百科事典 「ドイツ神秘主義」の意味・わかりやすい解説
ドイツ神秘主義 (ドイツしんぴしゅぎ)
deutsche Mystik
中世後期から近世にかけて,一連の系譜をなすドイツ人神秘家たちによって担われたキリスト教神秘主義の歴史的形態。狭義には,14世紀前半のエックハルト,ゾイゼ,タウラーを中心にした活動とその思想をさし,広義には,その3者以前のビンゲンのヒルデガルトやマクデブルクのメヒティルトMechthild von Magdeburg(1210ころ-82か94)などの女性神秘家たち,および3者以後その精神をさまざまな変容において継承・展開したニコラウス・クサヌス,ベーメ,さらにはドイツ・ロマン主義のノバーリス,ドイツ観念論のフィヒテ,シェリングなどに及ぶ精神的系譜を総称する。ドイツ神秘主義は,キリスト教史の枠を越えてヨーロッパ精神史を貫流する一大潮流をなしている。
トマス・アクイナス以後さらに激しさを増してきた理性と信仰との葛藤,自由精神の活発化の中で,エックハルトは,醒めた霊的知性の立場を開き出し,そこに根源的自由を見いだした。〈神秘的合一unio mystica〉にとどまらずさらに突き進むこと,合一の恍惚から神の本質すなわち魂の本質に覚める(覚めると神は〈無〉である)とともに現実世界に醒めること,それが無相無形の神との,真の脱却における生きた一体性であることをエックハルトは説いた。絶対についての強度の思弁と世俗内神秘主義のゆえにエックハルトが異端とされた後,2人の弟子,タウラーとゾイゼが師の立場を高く保ちながら,前者は再び信仰による実践の立場を,後者は再び合一の神秘主義を,それぞれ生かし直すことによって師の精神を近づきやすいものにした。このようにして,3人のおもな活動領域であったライン川流域地方に〈神の友〉の大きな潮流が成立した。この潮流は14世紀後半にはライン川をさらに下って北ドイツおよびネーデルラントにおいて,内面的にしてしかも実践的な〈近代的敬虔(新しき信心)Devotio moderna〉の運動を展開し,ロイスブルーク,フローテ,F.ラーデウェインスなどの活動を通して修道院制によらない新しい〈共同生活の兄弟会〉が形成された。トマス・ア・ケンピスの作とされるかの《イミタティオ・クリスティ》もこの運動から生まれたものである。若き日にこの兄弟団の教育を受け長じて枢機卿に挙げられたニコラウス・クサヌスは,哲学者としてエックハルトの精神を再び形而上学的思弁の次元で受け継ぎ,〈学識ある無知docta ignorantia〉〈反対の一致coincidentia oppositorum〉などの独特な考え方によって無限性の思惟を遂行した。また,その同時代15世紀前半において宗教的生活の面では,タウラーの精神を受け継いだ《ドイツ神学》が匿名で著され,以後広くかつ大きな影響を及ぼしていく。若きルターはこの書に深い感銘を受け,2度にわたってみずから序言をつけて刊行している。
宗教改革と並んで,近世を画する大きなできごとは,それ自身の統一をもつ独立の〈自然界〉の発見であったが,この突出してきた新しい自然をふまえたパラケルススの自然哲学と霊的神秘主義との融合が,V.ワイゲルを経て17世紀初めベーメの〈根源的意志の無底の深みUngrund〉の立場において成立した。自然の内奥に入る道と魂の内奥に入る道とがベーメによって綯(な)い合わされた。ドイツ観念論においては,フィヒテのエックハルトとの親近性,シェリングのベーメとの親近性が顕著である。このように数世紀にわたって歴史を貫通するドイツ神秘主義の潮流を見ると,神経験の根源性と世界肯定の具体性,そしてそれを自覚にもたらす思弁の徹底性が,その代表的個性に共通する際立った特質をなしている。そのゆえにキリスト教史的にはしばしば異端の嫌疑を受けざるを得なかったのであり,同時に哲学的には思想の問題的・危機的状況においてしばしば創造的思索の源となりえたと言いうる。
→神秘主義
執筆者:上田 閑照
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