フランスの画家。パリ生まれ。初め印象主義、ゴーギャン、セザンヌ、キュビスムなどの影響を受ける。1907年、ウクライナ生まれのソニアSonia (Terk)(1885―1979)と出会い、1910年に結婚した。ソニアはゴッホ、ゴーギャンの影響下にフォーブ的作風から出発するが、結婚前後から両者の関心は、色彩と運動と光という、ピカソたちの静止的キュビスムに欠けていた課題に取り組み、おそらくは相互的な影響下に、アポリネールによってやがて「オルフィスム」と名づけられることになる作風を確立するに至った。『都市パリ』(1910~12)などにみられるような、エッフェル塔、飛行機などの近代的要素を取り上げたロベールの諸作品がそれである。さらに両者とも12~14年ごろ、プリズム的な色面、とくに円環形の色面による絵画構成に達し、フランスにおける最初の抽象絵画を生み出し、クレーに影響を与えた。その後は37年のパリ万国博覧会の壁画を制作するなど、抽象絵画の建築装飾への適用を試みている。モンペリエに没。
妻のソニアは、とくにテキスタイル・デザインなどで活躍し、第二次世界大戦後には、生前ロベールが構想していたサロン・デ・レアリテ・ヌーベルを、アルプやソフィー・トイバーたちと創立している。
[中山公男]
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フランスの画家。オルフィスムOrphismeの創始者。パリに生まれ,絵画はほとんど独学。早くから色彩に強い関心をもち,新印象主義やフォービスムに傾くが,1909-11年の《エッフェル塔》《都市》の連作でキュビスムおよび未来派的傾向に転じ,12-13年に《円形,太陽と月》や《窓》の連作で,透明な色彩と抽象的な形態による純粋絵画に到達する。アポリネールはこれを〈オルフィスム〉と名づけて称賛した。キュビスムのピュトー派と共同で出品したが,むしろドイツ表現主義の〈ブラウエ・ライター(青騎士)〉グループと親交した。14-30年には現実的モティーフを回復するが,その後は再び完全抽象に転じた。1910年,ロシア出身の女流画家ソニア・テルクSonia Terk(1885-1979)と結婚。彼女も夫に近い抽象絵画に終始した。
執筆者:八重樫 春樹
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… ニュートンはその著《プリンキピア》の中で月の運動を論じており,これが月運動論の嚆矢(こうし)である。ニュートンに続いてA.C.クレロー,L.オイラー,J.ダランベール,P.S.ラプラス,ダモアゾーM.C.T.Damoiseau(1768‐1846),ラボックJ.W.Lubbock(1803‐65),ド・ポンテクーランP.G.de Pontécoulant(1795‐1874),プラーナG.Plana(1781‐1864),S.D.ポアソン,P.A.ハンセン,C.E.ドローネー,G.W.ヒル,J.C.アダムズ,ブラウンなどの理論が相次いで現れた。この中でハンセンがその理論に基づいて作成した《太陰表》(1857)は,その後半世紀余にわたって天体暦の月の位置推算の基礎データとして使われたが,ようやく1923年にブラウンの《太陰表》(1919)に引き継がれた。…
※「ドローネー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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