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ナイアガラ運動 ナイアガラうんどう Niagara Movement

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ナイアガラ運動
ナイアガラうんどう
Niagara Movement

アメリカの黒人社会運動家 W.デュ・ボイスの呼びかけで,教員,編集者など急進的な黒人の代表者が,黒人の権利獲得のために黒人を組織化しようとした運動。第1回会議は 1905年7月ナイアガラ瀑布付近で,第2回会議は翌年8月 J.ブラウンの蜂起の地であるバージニアのハーバーズフェリーで行われ,黒人のための完全な人権の確立,公共施設における差別待遇の撤廃,だれとでも交際できる権利の獲得,黒人保護のための効果ある法律の制定,子弟の教育の保障を要求。

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百科事典マイペディアの解説

ナイアガラ運動【ナイアガラうんどう】

米国における公民権運動の先駆。1905年ナイアガラ滝に近いカナダ領フォートエリーにW.E.B.デュ・ボイスら黒人知識人が集まり,すべての黒人が差別反対運動を展開することを訴える宣言を発表。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ナイアガラ運動
ないあがらうんどう
Niagara Movement

1905年、デュボイスの呼びかけで組織された、アメリカ黒人の権利宣言、権利要求の運動。逃亡奴隷解放のための組織「地下鉄道」の、逃亡奴隷にとっての「終着駅」であったカナダのナイアガラで第1回会議が開かれ、次の8項目が綱領として採択された。すなわち、〔1〕言論と批判の自由、〔2〕買収や束縛から自由な出版、〔3〕成年男子の普通選挙権、〔4〕人種や皮膚の色に基づく差別の撤廃、〔5〕人類の兄弟的連帯、〔6〕教育の機会均等、〔7〕労働の尊厳への信念、〔8〕賢明で勇気あるリーダーシップのもとで理想を実現するための団結。当時最大の影響力をもっていた黒人指導者B・T・ワシントンの宥和(ゆうわ)的、妥協的プログラムと、言論統制にまで及ぶその権力に抗議し、黒人の市民権が奪われ、人種差別政策が推し進められていく状況に反対して、黒人知識人たちがまず立ち上がったのである。
 第2回会議は、奴隷制廃止論者ジョン・ブラウンが決起して倒れたハーパーズ・フェリーで、第3回、第4回はボストン、オバーリンと、それぞれ東部と西部における奴隷解放運動の中心地で開かれ、年ごとに奴隷解放運動の歴史を継承し発展させる決意が新たにされた。しかし資金難やワシントン派との抗争などの影響で運動体としては大きく成長できず、1909年、全国黒人向上協会の前身にあたる全国黒人委員会に合体することによって、組織としては発展的に解消ということになった。短命でこそあったが、アメリカにおける近代黒人解放運動の嚆矢(こうし)として、その果たした役割は非常に大きい。[中村雅子]

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