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ヌレーエフ Rudolf Nureyev

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大辞林 第三版の解説

ヌレーエフ【Rudolf Nureyev】

1938~1993) ソ連生まれのバレエダンサー。キーロフ-バレエ団ソリストのとき亡命。パリのオペラ座舞踊監督を務めた。

出典|三省堂
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百科事典マイペディアの解説

ヌレーエフ

ロシア(ソ連)出身の舞踊家,振付家。両親はタタール人といわれる。はじめウラル山脈に近いウファアマチュア民族舞踊団で踊り,のちにバレエの個人レッスンを受ける。1955年からレニングラード(現サンクトペテルブルグ)のワガノワ舞踊学校でバレエを学び,キーロフ劇場(現マリインスキー劇場)バレエ団に入団する。
→関連項目森下洋子ルルーシュ

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世界大百科事典 第2版の解説

ヌレーエフ【Rudolf Nureyev】

1938‐93
ソ連出身の舞踊家,振付師。はじめアマチュア・グループ民族舞踊を踊り,私塾でバレエを勉強した。1955年レニングラード国立舞踊学校8年級に編入。58年同校卒業後,キーロフ・バレエ団(レニングラード・バレエ団)に入る。直ちに主演者の座を与えられるが,周囲および上層部との軋轢(あつれき)に堪え切れず,61年同バレエ団のパリ公演の際に政治亡命した。以来,イギリスローヤル・バレエ団をはじめ世界各地のバレエ団に招かれて踊り,最も人気の高い舞踊家となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヌレーエフ
ぬれーえふ
Рудолф Нуреев Rudolf Nureev
(1938―1993)

ロシア出身のバレエ・ダンサーイルクーツク生まれる。ダッタン系のダンサーで、跳躍力に優れ、野性味もあり、ニジンスキーの再来といわれた。レニングラード(サンクト・ペテルブルグ)・バレエ学校でA・プーシキンに学んだのち、レニングラード(キーロフ)・バレエ団に所属したが、1961年パリ公演のときにオルリー空港で劇的な亡命をし、それ以来西ヨーロッパにとどまった。M・フォンティンから森下洋子まで多くのパートナーと踊り、P・テーラー、M・グレアムらのモダン・ダンス作品も踊っている。振付師としても『ドン・キホーテ』『ライモンダ』『バヤデール』など多くの改訂版を上演した。パリ・オペラ座芸術監督を1989年まで務めた。1982年、オーストリア国籍取得。映画出演では『バレンチノ』(1977)などがある。1973年アメリカ・ダンスマガジン賞受賞。[市川 雅・國吉和子]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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