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ノルマン人 ノルマンじんNormans; Nordmenn

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ノルマン人
ノルマンじん
Normans; Nordmenn

スカンジナビア半島地方のデンマークに住み,8世紀以降バイキングと呼ばれる海賊として,ヨーロッパ各地を略奪して恐れられた北方ゲルマン諸部族。語義は「北方人」。9世紀後半からデーン人を中心とするバイキングがフランス北西部のセーヌ川下流地域を侵略。 10世紀初頭,ロロを指導者とするバイキングがセーヌ川地域を占領し,911年のシャルトルの戦いの結果,西フランク王シャルル3世 (単純王) からエプト川以北の地を公式に与えられ,ノルマンディー公国を建設し,フランス語を話し,キリスト教に改宗して定着した。彼らは祖先バイキングの奔放で順応性に富む性格を残し,城塞の構築や騎馬戦を巧みに取入れるとともに,ヨーロッパでも最も強力な封建国家をつくり上げ,1066年ノルマンディー公ウィリアムがイングランドに侵入して,ノルマン朝を開いた。また聖地巡礼に加わり,南イタリア,シチリア島にまで遠征し,1130年には両シチリア王国を建設した。また,9世紀後半スウェーデン人の一部はリューリクに率いられてノブゴロド公国を建設し,ノルウェー人の一部はアイスランド,グリーンランドに植民した。北欧3国もまたノルマン人によって建国された。

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デジタル大辞泉の解説

ノルマン‐じん【ノルマン人】

Normanスカンジナビア半島・デンマーク地方を原住地としたゲルマン人の一派。航海術に長じ、8世紀ごろからバイキングとして欧州各地に侵入。10世紀、一部がノルマンディー地方に移住、11世紀にイングランドを征服してノルマン朝を建て、また、両シチリア王国ノブゴロド公国を建国した。

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百科事典マイペディアの解説

ノルマン人【ノルマンじん】

ゲルマン人の一派で,北ゲルマンに属する。北方人の意。スカンジナビア,デンマーク地方に居住して,狩猟・漁労を営んでいたが,8―12世紀に各地に移動・建国した。はじめバイキングとして各地の海岸地帯を劫掠(ごうりゃく)。
→関連項目デーン人デンマークノルウェー

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世界大百科事典 第2版の解説

ノルマンじん【ノルマン人 Normans】

〈北の人〉を意味し,元来は,北ゲルマン人やバイキングを指したが,バイキングの西欧への南下に伴い,歴史的にはさまざまな意味で用いられるようになった。(1)9~11世紀のバイキングおよびその故国住民(スカンジナビア人)は,西欧ではノルトマンニNortmanniまたはノルマンニNormanniと呼ばれた。これは古北欧語の〈北norð〉と〈人maðr〉の複数形mennの合成語のラテン語表記である。今日,〈ノルウェー人〉はノルウェー語でNordmann,デンマーク語でNordmandと表記され,〈ノルマン〉と発音される。

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大辞林 第三版の解説

ノルマンじん【ノルマン人】

デンマーク・スカンディナビア原住の北ゲルマン人。八世紀頃からバイキングとしてヨーロッパ各地に渡来・定住し、ノルマンディー公国・両シチリア王国・ノブゴロド公国などを建国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ノルマン人
のるまんじん
Normans

デンマーク、スカンジナビア半島を原住地としたゲルマン人の一派。北方人の意で、ビーキング(バイキング)ともよばれる。ゲルマン民族大移動の際には移動しなかったが、8~11世紀に人口増加による土地、食糧の不足などからヨーロッパ各地に侵入。冒険心に富み、航海術に長じ、商業のほか略奪など海賊的活動を行ったが、とくにフランス北西岸、イギリス北東岸の修道院や都市を襲った。西フランクのシャルル単純王は、セーヌ川、ロアール川をさかのぼって内陸深く侵入するのを防ぐため、911年首領ロロにノルマンディーを与えて公とし、フランスに同化させた。その後ノルマンディー公ウィリアムは、イギリスのエドワード懺悔(ざんげ)王から王位継承の約束を得たが、1066年エドワードの死後その約束を違えてイギリス王となったハロルド2世に対し王位を要求し、イギリス南東岸のヘースティングズで戦死させ、同年末ロンドンに入ってウィリアム1世として即位し、ノルマン朝を開いた(ノルマン・コンクェスト)。また他方、11世紀初頭よりノルマンディーから南イタリアに渡って傭兵(ようへい)として活躍する者も多かったが、タンクレッドの子ロベール・ギスカール(ロベルト・グイスカルド)は、教皇の認可を得て南イタリアを征服し、両シチリア王国建設の基礎を開き、その甥(おい)ロジェール2世時代の繁栄を招いた。ノルマン人の植民活動は、このほかロシア、シェトランド諸島、オークニー諸島、アイルランド、さらにアイスランド、グリーンランドから北アメリカ大陸まできわめて広い範囲に及んだが、とくに彼らの北海、地中海における商業活動は11~12世紀の商業復活につながり、ヨーロッパ中世の発展に大きく貢献した。[富沢霊岸]

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世界大百科事典内のノルマン人の言及

【バイキング美術】より

…古くは5世紀ごろにまでさかのぼる。北フランスおよび地中海方面に定着したバイキングの一派,いわゆるノルマン人の美術はやがてロマネスク美術に吸収されてその一流派を形成することとなる。しかしそれ以外のものは,スカンジナビア美術史の一時期を占めるものと考えてよい。…

【バスク】より

…古代から貴金属類の産出がみられ,12~15世紀には製鉄が行われていたことが特許状の存在からも明らかとなっている。また9世紀ノルマン人がビスケー湾岸へ到達し,バスク人は彼らから航海術を習得した。伝統的な農牧業,漁業に加え,中世には鉱業,木材の運搬に伴う海運業が栄えた。…

【民族大移動】より

…東ゲルマンに属する部族としては,東ゴート,西ゴート,バンダルWandalen,ブルグントBurgunder,ランゴバルドLangobardenなどが数えられ,西ゲルマンでは,フランクFranken,ザクセンSachsen,フリーゼンFriesen,アラマンAlamannen,バイエルンBayern,チューリンガーThüringerなどが,また北ゲルマンでは,デーンDänen,スウェーデンSchweden(スベアSvear),ノルウェーNorwegerなどが挙げられる。このうち北ゲルマン諸族は,前2者よりやや遅れ,8世紀から11世紀にかけ,ノルマン人の名でイングランド,アイルランド,ノルマンディー,アイスランドならびに東方遠くキエフ・ロシアにまで移動し,それぞれの地に建国したため,通常これを第2の民族移動と称する。なお,〈バイキング〉の項を参照。…

※「ノルマン人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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