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ハウプトマン はうぷとまんGerhart Hauptmann

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ハウプトマン(Gerhart Hauptmann)
はうぷとまん
Gerhart Hauptmann
(1862―1946)

ドイツの劇作家。11月15日、シュレージエン(現ポーランド領シロンスク)のオーバーザルツブルンに生まれる。兄のカール・ハウプトマンCarl Hauptmann(1858―1921)も作家。ブレスラウ(ブロツワフ)の美術学校やイエナ大学に学び、イタリアを旅したのちベルリン郊外に住み、自然主義文学運動に参加、1889年、ブラームの自由劇場で初演された『日の出前』によって一躍自然主義の代表的作家となった。環境や遺伝の要因を重視し、退廃したブルジョア家庭を描く『平和祭』(1890)、因襲を逃れられぬ知識人を描いた『寂しき人々』(1891)、芸術家を扱う喜劇『同僚クランプトン』(1892)などを次々と発表したが、『織工(おりこ)』(1892)は、悲惨な貧民の暴動を同情をもって描いた最初の社会環境劇である。初演のころは不評だった喜劇『ビーバーの外套(がいとう)』(1893、続編『放火』)は現代でも生命を保っている。『ハンネレの昇天』(1893)は、自然主義とは違った象徴的、ロマン的要素が先取りされているが、メルヘン的な『沈鐘』(1896)以後は、『そしてピッパは踊る』(1906)など一連の象徴的作品が書かれている。『沈鐘』を境に作風が一変したわけではない。『沈鐘』と同じころ、自然主義的な『運送屋ヘンシェル』――自然主義小説『踏切番ティール』(1888)と骨子は同じ――やドイツ史劇『フローリアン・ガイアー』が書かれている。日本で好まれる象徴劇よりも、環境描写のなかに的確な時代相をとらえた写実的な作品、芸術家劇『ミヒアエル・クラーマー』(1900)、嬰児(えいじ)殺しの『ローゼ・ベルント』(1903)、ベルリンの悲喜劇『ねずみ』(1911)などが、現在の評価は高い。
 1907年ギリシアに旅し、古代のなかに残酷で異教的な要素を発見したハウプトマンは、紀行文『ギリシアの春』(1908)や戯曲『オデュソイスの弓』(1914)を書いている。小説『キリスト狂エマヌエル・クイント』(1910)や『ゾアーナの異教徒』(1918)には、この作者独自の宗教観やエロス観が現れる。12年にノーベル文学賞を受賞、しだいに大作家の風貌(ふうぼう)を帯び、古典的な韻文作品を書くようになる。『冬物語』(1917)、スペインの南米征服をテーマにした『インディポーディ』(1922)、『白き救世主』(1920)、叙事詩『ティル・オイレンシュピーゲル』などである。しかし第一次世界大戦後の世相を背景にした『ヘルベルト・エンゲルマン』(1926)や、老いらくの恋を扱う『日没前』(1932)では、写実的、心理的な作風に戻っている。告白小説『情熱の書』(1930)は、2人の女性に挟まれて悩む男性という彼好みのテーマの個人的体験を裏づける(1885年、豪商の娘マリーと結婚、マルガレーテとの恋愛事件は夫婦間の危機をもたらし、1904年マリーと離婚、マルガレーテと正式に結婚した)。政権を獲得したナチスに老大家として利用された彼は、ドイツの破滅を身をもって体験することになる。第二次世界大戦中に執筆された大作『アトレウス四部作』(1941~48)は、ギリシア世界に託してドイツの破局と、ヒューマンな世界の崩壊が描かれている。戦後の鎮魂曲である一幕劇『闇(やみ)』を残し、ソ連軍占領下のアグネーテンドルフで、1946年6月6日に没した。
 あらゆるジャンルにおいて、さまざまな様式の多くの作品を残したハウプトマンは、初期には自然科学的な決定論、のちには宿命的な運命論に傾くようになったが、結局は運命に滅ぼされてゆく人間の苦悩を同情をもって描いた詩人であり、したがって社会批判には限界があった。戯曲で演目に残っているのは、リアルな環境描写において技巧的に完成度の高い作品である。[岩淵達治]
『成瀬無極訳『寂しき人々』(新潮文庫) ▽橋本忠夫訳『喜劇 獺の外套』(岩波文庫) ▽小栗浩訳『ハンネレの昇天』(1954・河出書房) ▽登張正實訳『ゾアーナの異教徒』(1954・河出書房) ▽横溝政八郎著『ゲルハルト・ハウプトマン』(1976・郁文堂)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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