コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ハルデンベルク ハルデンベルク Hardenberg, Karl August, Fürst von

6件 の用語解説(ハルデンベルクの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハルデンベルク
ハルデンベルク
Hardenberg, Karl August, Fürst von

[生]1750.5.31. ハノーバー,エッセンローデ
[没]1822.11.26. ジェノバ
ドイツプロシアの政治家。 1770~81年ハノーバーの官僚となり,82年ブラウンシュワイク侯に仕え,90年アンスバハバイロイト辺境伯領長官となったが,翌年同地のプロシア併合に伴いプロシア政府に仕えた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ハルデンベルク(Karl August Hardenberg)

[1750~1822]プロイセンの政治家。1810年、シュタインの後を継いで宰相となり、ウィーン会議に全権として出席し、領土拡大に成功。ギルドの廃止、商業の自由の確立、各種税制の改革などに努力した。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

ハルデンベルク

プロイセンの政治家。外相(1804年―1806年,1807年),宰相(1810年―1822年)。K.シュタインのあとを受けて国制改革を行った。→シュタイン=ハルデンベルクの改革

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ハルデンベルク【Karl August Hardenberg】

1750‐1822
プロイセンの政治家。1810年宰相に就任し,シュタインを継いで22年までプロイセン改革を推進,とくに財政と経済の再建のため,ツンフト特権の除去(〈営業の自由〉の確立)や国内関税の撤廃を行い成果をあげた。ウィーン会議にはプロイセン全権代表として出席,西方への領土拡張を果たした。会議後は反動化の風潮に抗しえず,地主本位の農業立法の制定や立憲化の挫折など改革は停滞した。【末川 清】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ハルデンベルク【Karl August Hardenberg】

1750~1822) プロイセンの政治家。シュタインの改革を引き継ぎ、財政再建・自由営業の確立などを行なった。ウィーン会議に全権代表として出席、領土の拡大に成功。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ハルデンベルク
はるでんべるく
Karl August Frst von Hardenberg
(1750―1822)

プロイセンの政治家。由緒ある旧貴族の家柄に生まれる。母国ハノーバーなど各地で改革的官僚として活躍。1791年以後プロイセン国王に仕え、1804~1806年、1807年外相となったが、ナポレオン1世の要求で罷免された。1810年、シュタインが罷免された後を受けて宰相になり、以後シュタイン‐ハルデンベルクの改革として知られるプロイセン改革をはじめとして、内・外政を指導した。行政機構教育制度・軍制の改革、農業改革、営業の自由化、ユダヤ人の解放など広範な自由主義的改革を推進、国力の急速な復興に貢献したが、ユンカーに大幅に妥協した農業改革など不徹底な面も残した。対外的には、解放戦争に参加してナポレオンを倒し、ウィーン会議ではプロイセン全権代表として出席、領土拡大に成功してプロイセンの国際的地位を高めた。しかし王政復古下の憲法制定と議会開設の努力は実を結ばなかった。[岡崎勝世]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ハルデンベルクの関連キーワードアンドロポフ北ドイツ連邦ビスマルクプロイセン王国ファンロンパイプロイセン・オーストリア戦争プロイセン・フランス戦争ラドウィツオストプロイセンプロイセン語

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone