バトラー(英語表記)Butler, Benjamin Franklin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バトラー
Butler, Benjamin Franklin

[生]1818.11.5. ニューハンプシャー,ディアフィールド
[没]1893.1.11. ワシントンD.C.
アメリカの法律家,軍人,政治家。マサチューセッツ州ローウェルで弁護士として活躍。民主党に入り同州議会議員 (1853~59) 。 1860年の大統領選挙では南部民主党に参加したが,南北戦争が勃発すると連邦の維持を主張。マサチューセッツ民兵軍准将となり,ボルティモア占領の北軍司令官をつとめた。 61年同少将に昇進し,バージニア州モンロー要塞司令官として逃亡奴隷の所有者への送還を拒否。 62年ニューオーリンズ占領軍を指揮し,南部連合同調者の財産没収などを強行した。戦後は共和党急進派の一員として 67~75年および 77~79年連邦下院議員。グリーンバック運動を支持して共和党を去り,民主党に移る。 82年マサチューセッツ州知事。 84年の大統領選挙で反独占党・グリーンバック党連合の候補者となったが,1人の選挙人も獲得できなかった。

バトラー
Butler, David Edgeworth

[生]1924
イギリスの政治学者。オックスフォード大学卒業。 1954年より,同大学ナフィルド・カレッジ教授。「ナフィルド選挙研究グループ」の中心人物としてイギリスの総選挙を長年にわたって分析している。主著は,総選挙の翌年に毎回発表される『イギリス総選挙』 The British General Election。

バトラー
Butler, Henry Montagu

[生]1833.7.2. ノーサンプトンシャー,ゲイトン
[没]1918.1.14. ケンブリッジ
イギリスの教育者。ハロー校校長ジョージ・バトラーの息子。ハロー校,ケンブリッジ大学で学び,1859年 26歳でハロー校校長に就任,85年まで在職した。当時の科学思想に共感をもち,自然科学を公式にカリキュラムに導入,また 69年,古典科に満足な成績を上げた生徒に限り進学を認めるという条件付きで「近代科」を創設。 86年ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ学寮長,1901年ハロー校理事長,12年国王直属の宮廷牧師に任命された。著書に『長い人生における余暇』 Some Leisure Hours of Long Life (1914) がある。

バトラー
Butler, Joseph

[生]1692.5.18. バークシャー,ウォンティジ
[没]1752.6.16. バス
イギリスの神学者,哲学者。グロスターの非国教会派アカデミーに入学。のちに長老派主義に不満をもち,国教会に加わった。オックスフォード大学卒業後,1718年司祭。 38年ブリストル主教,50年ダーラム主教。おもな業績は『説教集』 Fifteen Sermons (1726) ,および『自然宗教と啓示宗教のアナロジー』 The Analogy of Religion,Natural and Revealed,to the Constitution and Course of Nature (36) である。後者においてバトラーは,当時のイギリスで広まりつつあった理神論や理性主義の風潮に対して,啓示宗教としての正統的キリスト教教義を擁護した。

バトラー
Butler, Nicholas Murray

[生]1862.4.2. ニュージャージー,エリザベス
[没]1947.12.7. ニューヨーク
アメリカの教育家。コロンビア大学に学び,学長 F.バーナードの感化を受けて教育者を志した。 1884年博士号を取得,ベルリン,パリに1年間留学,85年コロンビア大学哲学助手。 90年哲学と教育学の教授となり,1901~45年総長,45年引退とともに名誉総長。産業教育協会会長に就任中には,ニューヨーク教員養成カレッジ (のちのコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ) の設立に中心的役割を果した。若い時代には,当代の教育方法に批判的であったが,後年には「偉大な伝統」的教育を擁護して教育改革を批判する立場にまわり,職業化や行動主義を「新野蛮主義」として痛烈に非難した。半世紀以上も共和党員として活躍,しばしば全国大会の代議員をつとめた。また国際理解の振興に精力的に働き,カーネギー国際平和基金の設立を助け,理事,会長 (1925~45) に就任,31年には J.アダムズとともにノーベル平和賞受賞。主著『多忙の年月』 Across the Busy Years (2巻,39~40) 。

バトラー
Butler, Pierce

[生]1866.7.11. ミネソタ
[没]1939.2.15. フィラデルフィア
アメリカの法律家。 1897年ミネソタ州セントポールで弁護士を開業。 1923~39年連邦最高裁判所判事。保守的思想の持主で,F.ルーズベルトニューディール政策に反対の態度をとった。

バトラー
Butler, Reg

[生]1913.4.28. バンティングフォード
[没]1981.10.23. バーカムステッド
イギリスの彫刻家。初め建築を学び,1937~50年建築家として活躍,以後彫刻に専念。 53年「知られざる政治犯」の記念像のコンペに入選し注目される。 1950年代には鎖による奇怪な昆虫のような人間像を制作し,L.チャドウィック,K.アーミテージらと並んでイギリスの戦後彫刻の代表と目された。のち抽象化の度合いを強めたが,70年代には写実的スタイルに変貌した。

バトラー
Butler, Richard Austen

[生]1902.12.9. インド,アトックセライ
[没]1982.3.8. エセックス
イギリスの政治家。ケンブリッジ大学卒業。 1929年保守党下院議員に初当選。 37年労働政務次官,38年外務政務次官,44年教育相となった。 51年の総選挙の結果,再び保守党内閣ができると,蔵相国璽尚書内相,副首相,外相歴任。その間,下院院内総務をもつとめた。 65年1月上院議員。

バトラー
Butler, Samuel

[生]1612.2.8. 〈洗礼〉ウースターシャー,ストレンシャム
[没]1680.9.25. ロンドン
イギリスの風刺詩人。 19世紀の同名の作家と区別するため「ヒューディブラスのバトラー」と称される。宮廷貴族に仕え,のち清教徒軍の連隊長の書記となったが,この間に清教徒に対して強い反感をもつようになり,王政復古後,清教徒の偽善や愚行を徹底的に風刺した物語詩『ヒューディブラス』 Hudibras (3巻,1663,64,78) を書いた。チャールズ2世がこの作品を好み,作者に年金を与えたといわれるが,晩年は貧困に苦しみ,恵まれない文学者の例にあげられることが多い。

バトラー
Butler, Samuel

[生]1835.12.4. ノッティンガムシャー,ランガー
[没]1902.6.18. ロンドン
イギリスの小説家。初め聖職者を志してケンブリッジ大学に学んだが,既存のキリスト教にあきたらず,ニュージーランドに渡って牧羊業者として成功。 1864年帰国して絵をかき作曲をするかたわら文筆活動に従い,ビクトリア朝の社会を風刺したユートピア小説『エレホン』 Erewhon (1872) ,一家の歴史を描きつつ偽善的な宗教,倫理を痛撃した自伝的小説『万人の道』 The Way of All Flesh (1903) をはじめ,宗教や進化論に関する著作,『エレホン』の続編『エレホン再訪』 Erewhon Revisited (01) などを書いた。

バトラー
Butler, Walter

[生]?
[没]1781.10.30. ニューヨーク,モホーク渓谷
アメリカ独立戦争中の王党派 (ロイヤリスト ) 将軍。 1778年 11月 11日,王党派軍,インディアン軍の連合軍を率いてニューヨーク植民地のチェリー渓谷を攻撃し住民 30人を虐殺,同地方一帯を恐怖に陥れた。 81年モホーク渓谷を攻撃中に戦死

バトラー
Butler

アメリカ合衆国,ペンシルバニア州西部の都市。ピッツバーグの北約 48kmに位置する。付近から産出する石油,天然ガス石灰石鉄鉱石石炭を背景に,鉄鋼,化学,ガラス,食料品,木材,金属,製紙などの諸工業が発達。また農産物集散地である。人口1万 5714 (1990) 。

バトラー
Butler, Judith

[生]1956.2.24. オハイオ,クリーブランド
アメリカ合衆国の哲学者。フルネーム Judith Pamela Butler。ジェンダーやセクシュアリティに関する理論家として有名。エール大学で哲学を学び,1984年博士号取得。多数の大学で教鞭をとり,1998年カリフォルニア大学バークリー校でマキシーン・エリオット記念講座修辞学・比較文学教授に就任。著書『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(1990)は,ジェンダーの社会構築理論の代表的な書として大きな影響力をもつ。本書のなかでバトラーは,セックス(生物学的性別)とジェンダー(社会的性別)とセクシュアリティが,社会のなかで首尾一貫性をもっていると考えられているため,それから逸脱するものは否定されると指摘した。また,性別や,性別のアイデンティティ(性自認,性同一性)が最初にあり,そこから性別の表現が生まれるのではなく,性別の表現が繰り返し遂行されることにより性別が構築され,性自認もその過程で生まれていくと論じた。さらに,セックスとジェンダーは分けることができず,生物学的な性別という概念そのものが,社会的に構築されたものであると位置づけ直した。(→フェミニズムレズビアン・ゲイ・スタディーズ

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

バトラー(butler)

召し使い頭(がしら)。執事

バトラー【Samuel Butler】[英国の詩人]

[1612~1680]英国の詩人。王党派として清教徒を攻撃した風刺詩ヒューディブラス」で知られる。同姓同名の小説家と区別して、ヒューディブラスのバトラーとよばれる。

バトラー【Samuel Butler】[英国の小説家]

[1835~1902]英国の小説家。風刺的ユートピア小説「エレホン」、ビクトリア朝因習・偽善を批判した自伝的小説「万人の道」など。同姓同名の詩人と区別して、エレホンのバトラーとよばれる。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

バトラー

米国の教育家。コロンビア大学卒。母校の哲学・教育学教授,総長となり(1902年―1945年),その規模拡大に尽力。またカーネギー平和財団理事長(1925年―1945年)として軍縮と国際平和を主張した。1931年ノーベル平和賞。

バトラー

英国の政治家。保守党の幹部。チャーチルに重用され,第2次大戦中は文相として文教改革を断行。戦後は蔵相(1951年―1955年)として緊縮政策による財政再建に成功した。その後内相,副首相,外相等を歴任。

バトラー

英国の詩人。風刺詩《ヒューディブラス》(1662年―1678年)の作者。これは《ドン・キホーテ》を模しピューリタンを痛罵したもので,チャールズ2世に賞賛された。

バトラー

英国の小説家。風刺的ユートピア物語《エレホン》(1872年)の作者。因習や偽善と戦った生涯は自伝的小説《万人の道》(1903年)に描かれている。ホメロスの散文訳を行い,ホメロス女性説やダーウィニズムに反対した論文もある。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

バトラー【Joseph Butler】

1692‐1752
英国国教会聖職者,ダラム主教,哲学者。長老派教会員の家庭に生まれたが国教会に改宗し,ブリストル主教(1738)を経て,1750年ダラム主教就任。《宗教の類比》(1736)で自然宗教と啓示宗教の〈類比〉を論証して,啓示宗教としてのキリスト教の伝統的な正統教義を弁証した。倫理学者としては,道徳生活は人間本性にかなった生き方であるとして,ホッブズ以来の利己主義的な功利主義を批判するなど,後世の思想家に影響を及ぼした。

バトラー【Josephine Elizabeth Butler】

1828‐1906
イギリスの社会改革者。農業改良や奴隷貿易廃止運動に貢献したジョン・グレーの娘。英国国教会の牧師ジョージ・バトラーと結婚。女性の道徳的向上に強い関心をもち,最初は女子の高等教育要求の運動にも参与するが,しだいに売春婦の救済に専念するようになる。警察の監視下で売春婦に定期検診を義務づけることによって事実上公娼制度を法的に承認した〈性病法Contagious Diseases Act〉(1864,66,69)の廃止を訴え,女性の全国的組織を先導。

バトラー【Samuel Butler】

1612‐80
イギリスの風刺詩人。後世の《エレホン》の著者で同姓同名の作家バトラーと区別するために,〈《ヒューディブラス》のバトラー〉と呼ぶのがふつう。農民層の出身であったが,のちにピューリタンの保安官サミュエル・リュークに仕えた。王政復古後,このリュークをモデルにした痛烈な風刺詩《ヒューディブラス》全3部(1662,63,78)を世に問い,それまでピューリタンに痛めつけられていた王党派のかっさいをあびた。主人公のヒューディブラス卿はピューリタン陣営の長老派教会,彼の従者ラルフォーは同じく独立派を表し,この2人がドン・キホーテおよびサンチョ・パンサそっくりの旅を続ける間に,ピューリタンの偽善や独善が暴露されるしくみ。

バトラー【Samuel Butler】

1835‐1902
イギリスの小説家。ケンブリッジ大学に学んだがキリスト教に疑問をもち,予定されていた聖職に就くことを拒否して,ニュージーランドに移住,牧羊業者になるなど,若いころから既存の権威に反逆する気質を示した。1864年帰国後は,人文科学,社会科学,自然科学のあらゆる分野に広い関心を示し,それぞれの問題について素人の遊びではない専門的業績を発表している。例えば,C.ダーウィンの進化論とは違う彼独自の進化説を発表し,ラマルクにくみしてダーウィンに反論する著作《古い進化,新しい進化》(1870)などを世に問うた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

バトラー【butler】

召し使いの頭かしら。執事。

バトラー【Samuel Butler】

1612~1680) イギリスの詩人。清教徒を攻撃した風刺詩「ヒューディブラス」を書いた。と区別してヒューディブラスのバトラーと呼ぶ。
1835~1902) イギリスの小説家。風刺ユートピア小説「エレホン」が名高い。ほかにビクトリア朝の宗教道徳に反抗する青年を描いた自伝的小説「万人の道」がある。と区別してエレホンのバトラーと呼ぶ。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

図書館情報学用語辞典の解説

バトラー

1884-1953.米国シカゴ郊外に生まれる.図書館学者,書誌学者.神学校で博士号を取得後牧師となるが,その後ニューベリー図書館印刷史コレクション部門の初代管理者となり,分析書誌学および学識史の観点からインキュナブラを体系的に収集した.1931年,新設のシカゴ大学図書館学大学院教授となり,書誌学・書物文化史などを教える一方,図書館学理論の確立に尽力し,文化・学識の継承発展の場としての図書館の意義を追求した.主著『図書館学序説』(An Introduction to Library Science1933)は,図書館を学問的対象とみなした同学科の理念を代表する著作といわれている.

出典 図書館情報学用語辞典 第4版図書館情報学用語辞典について 情報

世界大百科事典内のバトラーの言及

【女性運動】より

…1864年には軍事基地に公娼がおかれ,69年に売春婦あるいはそれと推定された女性に検診を義務づける〈性病法Contagious Diseases Act〉が制定された。J.E.バトラーは,この法律は人権の侵害であるとして反対運動に立ち上がり,その撤廃に成功し,さらに国の内外に売春の禁止を訴えた。またM.C.C.ストープスは,産児制限の技術を開発し,それを普及し,女性労働者の地位向上を図った。…

【ユートピア】より

…すでに18世紀にJ.スウィフトが《ガリバー旅行記》(1726)において,極大と極小の架空社会を描いたときに,理想国家の冷厳な現実が間接的にとりあげられていた。S.バトラー《エレホン》(1872)もまた,一見理想的にみえる社会のうちに逆説的な暗黒面を見いだし,結果として未来の予測可能性を疑わしめることになった。 19世紀から20世紀にかけて,新たな都市計画運動が起こり,ユートピアの理想が社会計画のうちに投影されるようになった。…

※「バトラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

バトラーの関連情報