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バローネ バローネBarone, Enrico

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バローネ
Barone, Enrico

[生]1859.12.22. ナポリ
[没]1924.5.14. ローマ
イタリアの数理経済学者。生涯の大半を砲兵将校として過したが,1907年退官後はローマ高等商業学校教授。ローザンヌ学派の代表者の一人で,L.ワルラスの理論を発展させ,限界生産力説の確立者の一人となった。 08年の『集産主義国家の生産大臣』 Il ministro della produzino dello stato collectivistaで,市場が存在せず,国家が一方的に価格を指令しても試行錯誤によって均衡が達成されるという集産主義社会における経済合理性の可能性を主張し,第1次世界大戦後の社会主義経済計算論争時の O.ランゲらの主張の先取りをしていたことでも著名。主著『経済学原理』 Principi di economia politica (1908~10) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

バローネ【Enrico Barone】

1859‐1924
イタリアの軍人,数理経済学者。1907年生涯の大半を過ごした砲兵将校を退官した後,ローマ高等商業学校教授となる。V.パレートと並んでローザンヌ学派の代表者の一人で,パレート理論を発展させ,限界生産力説の確立者の一人。著書《集産主義国家の生産省》(1908)において,集産主義社会の経済合理性の可能性を主張し,第1次大戦の1920~30年代の社会主義経済計算論争における,O.ランゲらの主張を,いち早く説いていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バローネ
ばろーね
Enrico Barone
(1859―1924)

イタリアの経済学者、軍事学者。ナポリに生まれ、陸軍士官学校卒業後1886年参謀本部付大尉。処女作「大軍作戦法」(1882)に続き軍事科学の論文多数を著す。1894年には少佐としてトリノの高等戦争学校の教官となったが、すでに当時イタリア最大の経済学者M・パンタレオーニMaffeo Pantaleoni(1857―1924)、V・パレートの2人と交流をもち、同年より経済学の論文、著書を発表し始めた。それらの論文のなかで、1896年に『経済学雑誌』Giornale degli economistiに発表された「分配に関する研究」は、L・ワルラス、A・マーシャル、J・B・クラークとは別個に独自の限界生産力説を展開したものとして注目された。
 彼はその後も軍事科学の分野でも優れた労作を出し、1902年に参謀本部に復帰したが、この間経済学の研究も続け、4年後大佐のときついに退官し、経済学に専念する。1908年『経済学雑誌』に、経済学史上彼の名を不滅のものとした有名な論文「集産国家における生産省」が発表された。この論文において彼は、ワルラス‐パレート型の一般均衡論体系を用いて、生産手段が社会的に所有されている社会においても「生産省」(中央計画局)が財やサービスに計算価格を設定することによって市場経済における価格と同一の機能を果たさせることが可能であること、したがって社会主義経済における合理的資源配分の可能性を数学的に論証した。この論文は、1930年代に社会主義経済における経済計算の可能・不可能をめぐるL・E・ミーゼス、F・A・ハイエク、O・ランゲらの論争が展開されるなかで高い評価を受け、バローネとは逆の立場にたつハイエクによって編集された書物『集産主義者の経済計画』Collectivist Economic Planning(1938)に英訳が収められ、続いて各国語で出版された。[尾上久雄]

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367日誕生日大事典の解説

バローネ

生年月日:1859年12月22日
イタリアの数理経済学者
1924年没

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