改訂新版 世界大百科事典 「パプア人」の意味・わかりやすい解説
パプア人 (パプアじん)
Papuan
ニューギニア島の高地に住む人々を指す場合と,パプア・ニューギニア(ニューギニア島東部)に住む人々を指す場合がある。高地に住む人々は,人種的にはオーストラロイドまたはオセアニック・ネグリトといわれ,アジア大陸から太平洋に向かって押し出された最古の集団である。これらの人々は約3万年前にニューギニア島に到着していたが,後から来たモンゴロイド系に高地に追いやられた。一般にニューギニア高地人と呼ばれ,他のメラネシア地域とは異なる人種集団を形成している。一時期に大規模な人種の混血があったため,身体的特徴も地域により異なる。1960年半ばから始まった考古学調査によると,高地の各地の渓谷に約1万年前に人が住んでいたことが明らかとなった。ベールに包まれたまま長く外界と孤立していたパプア人の多くは,第2次世界大戦後,オーストラリア行政と接触した。しかし60年代までパプア人社会に近代化政策がもち込まれなかったため,発展が遅れた。
パプア諸語には,数百を下らぬ数の異なる言語が含まれ,それぞれの言語の話者数は,数百から15万人以上とさまざまである。パプア人社会は威信の獲得,蓄積を競う男性社会によって支配される部族社会であり,その特徴は中央集権化された政治組織および体系化された宗教がないことにある。儀礼が発達しており,多くはシングシングが伴う。リーダーシップは世襲ではなく,戦闘や部族間の交易によって築かれ獲得されたもので,氏族(クラン)ごとにいるリーダーはビッグマン(ピジン・イングリッシュで〈首長〉の意)と呼ばれた。ビッグマンは氏族の全面的支持を背景として対外関係を処理してきた。部族間の取引関係を通じて通婚関係や同盟が成立していたが,張合いと攻撃性はしばしば武力抗争にまで発展した。貝貨,豚は欠かすことのできない財であった。技術の発達は遅れており,一般に階層分化も社会分業も未発達であった。人々はすべて形あるものは精霊から授けられると信じ,また呪術が部族間,部族内を問わずはびこっていた。彼らは根茎類(ヤムイモ,タロイモ,サツマイモ,キャッサバなど)の栽培を生業とする自給農民であるが,主として女性が農耕に従事する。主食のサツマイモは約300~350年前にポルトガル人あるいはマレー人によって海岸地方にもたらされ内陸部に達したもので,これが高地の人口を増加させ,社会を変えたといわれる。1960年代には換金作物の茶,コーヒーが導入されて栽培に成功,国の経済発展に一役買っている。
73年にパプア・ニューギニアに自治政府が樹立され,パプア人たちも政治に参加する機会をえた。75年イギリス女王を元首とする立憲君主国として独立したが,パプア・ニューギニアの約590万人(2005推定)の人口の2/3がパプア人である。メラネシア人との人種混血がおきており,メラネシア人国家ということから国民の間にメラネシア人としてのアイデンティティ(同類意識)が育ちつつある。西欧文化との接触が新しいため,土着文化が西欧文化と共存している。
執筆者:畑中 幸子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報