ヒューストン(英語表記)John Huston

デジタル大辞泉 「ヒューストン」の意味・読み・例文・類語

ヒューストン(Houston)

米国、テキサス州の商工業都市。メキシコ湾と通じる水路をもつ。周囲に油田があり、石油化学工業が盛ん。また農産物の集散地。NASAナサジョンソン宇宙センターがある。人口、行政区224万(2008)。

ヒューストン(John Huston)

[1906~1987]米国の映画監督脚本家・俳優。自ら脚本を手がけた「マルタの鷹」で監督デビューを果たし、「黄金」でアカデミー賞の監督賞・脚本賞を受賞。他の監督作に「アスファルトジャングル」「アフリカの女王」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ヒューストン」の意味・読み・例文・類語

ヒューストン

  1. ( Houston ) アメリカ合衆国テキサス州の商工業都市。二〇世紀初頭、テキサス油田が発見されてから急速に発展。石油精製・石油化学工業が盛んで、石油・綿花などの積み出し港でもある。郊外にアメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙センターがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヒューストン」の意味・わかりやすい解説

ヒューストン
John Huston
生没年:1906-87

アメリカの映画監督。戦後の〈赤狩り〉の世代(ジョルジュ・サドゥールは〈ハリウッドの失われた世代〉と呼んだ)の監督の一人。〈赤狩り〉への抵抗とみなされた《勇者の赤いバッヂ》(1951)がプロデューサーの手でずたずたにカットされたあと,画家ロートレックの伝記映画(《赤い風車》1952),西部劇(《許されざる者》1960,《ロイビーン》1972),スペクタクル史劇(《天地創造》1965),スパイ映画(《クレムリン・レター》1970,《マッキントッシュの男》1972),ミュージカル(《アニー》1982)等々,何でもこなす職人監督としてそのディレッタンティズムをつらぬく。そのため,ハリウッドのもっとも商業的な監督でありながら,ハリウッドの〈烙印(らくいん)のない牛〉(マーベリック)とみなされ,マリリン・モンロークラークゲーブルの遺作になった《荒馬と女》(1961)やボクシングを描いた《ファット・シティ》(1971)がその代表作に数えられることが多い。監督第1作《マルタの鷹》(1941)で戦後のハリウッドの〈フィルム・ノワール〉あるいは〈ハードボイルド映画〉の流れをつくり,主演のハンフリー・ボガートとは続いて《黄金》(1947),《キー・ラーゴ》(1948),《アフリカの女王》(1951),《悪魔をやっつけろ》(1953)で組み,その魅力をひき出す。さらにボガートのために《白鯨》でエーハブ船長の役を,《王になろうとした男》でクラーク・ゲーブルとの〈夢の競演〉を考えたが,ボガートの死で実現せず,《白鯨》は1956年にグレゴリー・ペックで,《王になろうとした男》は1976年にマイケル・ケインとショーン・コネリーで映画化しているが,このボガートで撮りそこなった2作も含めた〈ボガート映画〉にもっともヒューストン的なテーマ(人間,とくに男の野望とその挫折)が色濃く出ている。
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ヒューストン
Houston

アメリカ合衆国テキサス州東部,メキシコ湾に比較的近い位置にある同州最大の都市。人口202万(2005,全米4位),1826年に町が建設されたが,36年メキシコとの戦争で破壊された。同年,新たな町の建設にあたって,テキサス共和国のメキシコからの独立のために戦った英雄S.ヒューストンを記念して命名された。当時の戦跡サン・ハシントSan Jacintoが東郊にある。19世紀の後半には,綿花など農牧産品の集散地として徐々に発達したが,1901年に付近で石油が発見されてから市の発展が急速に進んだ。急速な発展に即応するため,浅い湖であるガルベストン湾奥のヒューストン港から外海であるメキシコ湾に至る大型船航行可能な水路が14年に一応完成した。その結果,メキシコ湾岸の古くからのガルベストン湾に代わって,ヒューストン港がテキサス最大の港へと変化し,現在ではニューヨーク,ニューオーリンズに次ぐ全米3位の船舶取扱量となった。石油関連産業の全米最大の中心地であるとともに,天然ガス,硫黄などの鉱産物や綿花,トウモロコシ,食肉などの農牧産品の大集散地としても重要である。サンベルトの中核都市としての繁栄を誇るように都心には超高層ビルが林立し,現代的な都市景観を示している。産業面だけでなく,宇宙開発計画の先端をいくアメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙センターが郊外にあり,研究者とともに多くの観光客を集めている。また,ライス大学,ヒューストン大学などがあるほか,研究機関も多い。豊かな財政と高い所得に支えられて,観光レクリエーション,スポーツ施設もよく整備されている。とくに,プラスチックのドームでおおわれた全天候型の野球場アストロドーム・スタジアムは有名である。ヒューストン・シンフォニー・オーケストラ,ジョーンズ芸術ホールなど文化環境の充実が図られている。
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ヒューストン
Samuel Houston
生没年:1793-1863

アメリカの政治家。バージニア州生れ。1823-27年合衆国下院議員,27-29年テネシー州知事。35年以降,メキシコからの独立をめざすアメリカ系テキサス軍を指揮し,36年4月メキシコの独裁者サンタ・アナ将軍を捕虜にし,テキサスの独立を承認させた。同年,最初のテキサス共和国大統領に当選し,38年には落選したものの41年には再選された。45年テキサスが合衆国に合併されるや同州選出の上院議員として13年間働き,59年同州知事に当選した。南北戦争に際しては連邦側に立ち,南部の分離権を承認せず,61年に辞職し,隠退生活を送った。テキサス州ヒューストンの市名は彼にちなむ。
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百科事典マイペディア 「ヒューストン」の意味・わかりやすい解説

ヒューストン

米国の映画監督。ミズーリ州生れ。父は俳優のウォルター・ヒューストン。H.ボガート主演の監督第1作《マルタの鷹》(1941年)はハードボイルド映画の規範となった。その後も《黄金》(1947年),《キー・ラーゴ》(1948年),《アフリカの女王》(1952年)などでボガートとコンビを組み,男の野望と冒険と挫折を描いた。赤狩りへの抵抗と見なされた《勇者の赤いバッジ》(1951年)でのトラブルは有名。他の作品にH.メルビル原作の《白鯨》(1956年),M.モンロー,C.ゲーブル主演の《荒馬と女》(1961年),《007/カジノロワイヤル》(1967年),ボクシング映画《ファット・シティ》(1971年),《勝利への脱出》(1980年)などがある。遺作は,J.ジョイスの短編にもとづく《ザ・デッド》(1987年)。
→関連項目ギッシュバコール

ヒューストン

米国,テキサス州南東部の工業都市。メキシコ湾に臨むガルベストン湾とヒューストン運河で結ばれる港湾都市。油田地帯の中心で石油精製のほか合成ゴム,採油機械,航空機,造船などの工業が行われる。綿花,小麦,米,牛が取引され,それらの積出港でもある。1836年建設のテキサス共和国の主都だった。郊外にNASA(ナサ)の宇宙飛行管制センターがある。また,屋内野球場アストロドーム,国際空港がある。209万9451人(2010)。
→関連項目ガルベストン

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世界大百科事典(旧版)内のヒューストンの言及

【ヒューストン】より

…1826年に町が建設されたが,36年メキシコとの戦争で破壊された。同年,新たな町の建設にあたって,テキサス共和国のメキシコからの独立のために戦った英雄S.ヒューストンを記念して命名された。当時の戦跡サン・ハシントSan Jacintoが東郊にある。…

※「ヒューストン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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