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ビゼー ビゼーBizet, Georges

7件 の用語解説(ビゼーの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ビゼー
ビゼー
Bizet, Georges

[生]1838.10.25. パリ
[没]1875.6.3. パリ近郊ブージバル
フランスの作曲家。 1848年からパリ音楽院に学び,グノーらに師事。 57年ローマ大賞を得てローマに留学。帰国後,音楽教師などをしながら,オペラ真珠採り』 (1863) を作曲。これは不成功に終り,健康を害したりしたが,72年の『アルルの女』の付随音楽 27曲の成功以来,次第に名声を得た。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

ビゼー(Georges Bizet)

[1838~1875]フランスの作曲家。特にオペラにすぐれ、洗練された作曲技法によって、音楽と劇の内容とを融合させた。作品にオペラ「カルメン」「アルルの女」など。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

ビゼー

フランスの作曲家。音楽家を両親として生まれ9歳で生地のパリ音楽院に入学,グノーらに師事した。在学中に作曲された《交響曲ハ長調》(1855年)はフランスの交響曲の名作として今日でもしばしば演奏される。
→関連項目サクソフォーンチゴイネルワイゼンハバネラプティ

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

ビゼー

フランスの作曲家。《カルメン》で知られているビゼーは劇音楽に長けた作曲家である。オーケストラの作品や歌曲、ピアノ曲も手がけており、ピアノ作品はどれも標題をもっている。
声楽教師の父親とピアニストの ...続き

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世界大百科事典 第2版の解説

ビゼー【Georges Bizet】

1838‐75
フランスの作曲家。音楽家の家庭に生まれ,幼いときから音楽の才能を示し,9歳でパリ音楽院に入学。ピアノ,オルガン,作曲などを学んだ。1857年ローマ大賞を獲得してローマに留学した。これに先立ち,オッフェンバック主催のオペレッタ作曲コンクールに入選。イタリアから帰国後,63年彼の最初の重要なオペラ《真珠採り》が完成し上演されたが,高い評価は得られなかった。その後《美しきパースの娘》(1866),《ジャミレ》(1871)などのオペラを書いたが,いずれも不評に終わった。

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大辞林 第三版の解説

ビゼー【Georges Bizet】

1838~1875) フランスの作曲家。劇的効果の高いリアリズムをオペラ「カルメン」において打ち立てた。オペラ「真珠とり」、劇音楽「アルルの女」など。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ビゼー
びぜー
Georges Bizet
(1838―1875)

フランスの作曲家。パリ生まれ。両親とも音楽家で、早くから音楽に親しむ。9歳でパリ音楽院に入学、約10年間在籍し、アレビ、グノーらに師事、多部門で一等賞を受けた。在学中に作曲した交響曲ハ長調(1855)には、溌剌(はつらつ)とした表情、印象深い旋律など、後の彼の作品の性格が表れている。1857年にカンタータ『クロビスとクロチルド』を作曲してフランス作曲家の登竜門である「ローマ大賞」を受け、19歳でローマへ留学したが、母の病のため60年にパリに戻る。在学中からオペラなどの劇場音楽の作曲を試み、留学中はイタリア語の台本によるドニゼッティ風のオペラ・ブッファを作曲した。最初の傑作『真珠とり』(1863)は、異国的な旋律、管弦楽による表現の色彩感、優美さなどを備えながらも、当時はあまり評判にならなかった。
 これに続いて10曲余りのオペラ、オペレッタが計画されたが、大半が未完ないし破棄され、残された4曲中今日かろうじて上演の機会があるのは『美しいパースの娘』(スコットの小説による。1867初演)だけである。1871年、四手用ピアノ曲『子供の遊び』と同曲の抜粋の管弦楽版、72年にドーデの戯曲『アルルの女』の付随音楽(27曲)と、そのうち4曲を演奏会用に編曲した組曲『アルルの女』(第一組曲とよばれているもの)がそれぞれ成功を収めた。これに力を得たビゼーは、オペラ・コミック座から委嘱された『カルメン』の作曲に力を注ぎ、4幕のオペラ・コミックとして74年に完成した。しかし翌年3月同劇場で行われた初演は、内容が社会的には下層の人々を扱っていたこと、従来のオペラ・コミックとは異質の表現力と生気にあふれた音楽であったことなどが原因で、聴衆の理解をただちに得ることはできず失敗に終わり、ビゼーはその3か月後に失意のうちに他界した。同年10月『カルメン』はギローによりグランド・オペラのスタイルに改作され、ウィーンで大成功を収めた。これを機会に『カルメン』とビゼーに対する評価は変わり、フランス音楽史上もっとも天賦のドラマチックな精神と音楽性をもった作曲家とみなされるようになった。[美山良夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内のビゼーの言及

【カルメン】より

…奔放なジプシー女カルメンは,いわば近代人の枠外に設定された人物で,ロマン派好みの異国趣味を背景に,作者の多年のスペインへの傾倒から析出した結晶といえよう。【冨永 明夫】
[音楽]
 メリメの小説にビゼーが1873‐74年に作曲した4幕のオペラ。パリのオペラ・コミック劇場の依頼による。…

【フランス音楽】より

… フランス音楽の再生は,むしろグノーとサン・サーンスに始まるというべきであろう。グノーの《ファウスト》は劇場からマイヤーベーアとイタリア人を遠ざける最初の一撃となり,《マノン》のマスネー,フランス的なレアリスムに立つ《カルメン》のビゼーと《ルイーズ》のG.シャルパンティエら,フランス的な感性を主張する歌劇作家が後に続いた。一方,サン・サーンスは器楽復興の推進者であった。…

※「ビゼー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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