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ピット(大) ピットだい Pitt, William, 1st Earl of Chatham

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ピット(大)
ピットだい
Pitt, William, 1st Earl of Chatham

[生]1708.11.15. ウェストミンスター
[没]1778.5.11. ケントヘイズ
イギリスの政治家。 R.ピットの子。ピット (小) の父。オックスフォード大学ユトレヒト大学で学んだのち,近衛騎兵連隊の将校に任官。 1735年下院議員になり,R.ウォルポール首相の施政を攻撃し,雄弁家としての名声を確立,ウォルポール退陣 (1742) 後頭角を現し,46年2月アイルランド副会計官,2ヵ月後ウォルポールの後継者 H.ペラム内閣の軍事支払 (陸軍主計) 総監に就任。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ピット(大)
ぴっと
1st Earl of Chatham, William Pitt, the Elder
(1708―1778)

イギリスの政治家。インドで財をなしマドラス総督となったトマス・ピット(通称「ダイヤモンド・ピット」)の孫。イートン校、オックスフォード大学に学び、1735年に下院議員となった。野党に加わり、王家がハノーバー出身であるためにイギリス外交政策がゆがめられていると政府を攻撃し、「愛国派」として人気を博した。しかしそのために国王ジョージ2世に嫌われ、ようやく1746年になって閣外のポストを与えられた。人事をめぐる争いから1755年に更迭されたが、「七年戦争」の勃発(ぼっぱつ)によって世論が彼の政権入りを望むに至り、1756年12月に国務相となり戦争を指導する地位についた。翌1757年いったん辞任したが、同年7月に国務相に返り咲き、ニューカッスル内閣下で事実上の首相としてイギリスを勝利に導いた。とくにインド、北アメリカなど海外植民地でフランスの勢力を破り、イギリス帝国の基礎を築いた。しかしジョージ3世の即位(1760)以後、自説が内閣で受け入れられなくなると、1761年に下野した。1766年にはチャタム伯に叙され、国璽尚書(こくじしょうしょ)として事実上首相を務めたが、病気のために十分な政治指導力を発揮することができず、2年後には辞任のやむなきに至った。その後、本国とアメリカ植民地の関係が悪化すると、ノース政府の強圧政策に強く反対した。1778年、上院で演説中に倒れ、まもなく死去した。雄弁で知られたホイッグ党の大政治家であったが、政界では孤立していた。[青木 康]

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