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ピープス Pepys, Samuel

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ピープス
Pepys, Samuel

[生]1633.2.23. ロンドン
[没]1703.5.26. ロンドン
イギリスの官吏。有名な『日記』の作者。仕立屋の子から身を起し,ケンブリッジ大学に学び,E.モンタギュー提督の庇護を受けて官吏となり,海軍省で働いた。王政復古以後の政界で活躍,1673年海軍大臣となり,78年失脚,ロンドン塔に幽閉されたが,84年再任。一方,ロイヤル・ソサエティの会長にも選ばれた。 89年名誉革命によってウィリアム3世が国王となるに及び政界から引退した。今日では 60年1月1日から 69年5月 31日にいたる『日記』の筆者として記憶されている。記述は政界の内幕や宮廷の雰囲気を伝えると同時に,観劇や社交,さらに女性関係などもあからさまに述べ,王政復古期の風俗をうかがう資料として,また文学として高い地位を得ている。もとは暗号で書かれていたが,1825年になって解読,出版された。ほかに『海軍回想録』 Memoirs Relating to the State of the Royal Navy (1690) 。

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百科事典マイペディアの解説

ピープス

英国の官僚貴族に仕え,のち海軍大臣になった。1660年から1669年までの速記による《日記》(1825年解読出版)で有名。赤裸々な叙述で文学作品としても興味深く,また当時の社会や生活を伝える史料としても貴重。

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世界大百科事典 第2版の解説

ピープス【Samuel Pepys】

1633‐1703
イギリス王政復古期の海軍省の官僚。後に海軍大臣となる。彼の日記はJ.イーブリンのそれと並んでイギリス日記文学の双璧といわれる。ロンドンの仕立屋の家に生まれ,ケンブリッジ大学に学ぶ。1660年,父方の遠縁エドワード・モンタギュー(後のサンドイッチ伯爵)の世話で海軍省の役人として仕官。しだいに能吏としての才能をあらわし,海軍省の書記官からタンジール委員会の出納長などを経て海軍省内での地歩を固め,海軍大臣(在任1673‐78,84‐89)にまで出世する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ピープス
ぴーぷす
Samuel Pepys
(1633―1703)

イギリスの日記作者、官吏。ケンブリッジ大学を出て海軍大臣、英国王立協会会長を歴任。同時代の文人イーブリンと双璧(そうへき)とされる『日記』(1825刊)は、難解な速記法で書かれ、長年ケンブリッジ大学モードリン学寮に眠っていたが、1819年にその4分の1が解読された。この日記は、1660年から約10年間の軽薄な世相、退廃した宮廷生活、ロンドン大火と疫病、海軍、とくに日常生活のことなどを率直で印象的な筆致で描き、作者の鋭い観察を示す古典的奇書とされている。ペスト予防のために葉煙草(たばこ)をかみ、妻の黒い薄絹織の服を誉め、疎開した金貨の回収に躍起となり、賄賂(わいろ)や女性関係に悩む姿は、まさに17世紀風紳士の姿そのものであった。[樋渡雅弘]
『臼田昭著『ピープス氏の秘められた日記』(岩波新書)』

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