19世紀フランスの代表的歴史家。ミシュレ,トックビルと並び称される。エコール・ノルマル・シュペリウール出身。創立まもないアテネのフランス学院に留学した。若き日の著作《古代都市La cité antique》(1864)は,宗教の観点から社会構造を説明する大胆な仮説により大きな反響を呼んだ。その後,古代から中世への移行期の研究へと向かい,大著《旧フランス政治制度史Histoire des institutions politiques de l'ancienne France》6巻(1875-92)を著した。厳密な史料批判に基づく実証史学の方法を確立した記念碑的作品である。フュステルの基本的立場は,中世封建社会は末期ローマ世界の内部より生まれたとし,ゲルマン大移動の及ぼした影響は副次的なものとみなす,ローマ起源説である。ソルボンヌの中世史講座教授(1878-88),またその間エコール・ノルマル・シュペリウールの校長も務め(1880-83),若い世代への影響が大きかった。
執筆者:二宮 宏之
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フランスの歴史家。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)を卒業後、アテネのフランス学院で古典(ギリシア・ローマ)古代史を研究、『キオス島考』を発表し(1856)、『ポリビオス研究』で学位を得、1860年からストラスブール大学の教授、64年『古代都市』La cité antiqueを刊行。古代ギリシア・ローマの社会的結合が宗教(たとえば家族統合での祖先崇拝など)によって規制されていることを強調して有名になる。70年から母校エコール・ノルマルの教授。75年からパリ大学で中世史を講義し、78年正式の教授。80~83年エコール・ノルマルの学長を務め、のちふたたびパリ大学教授。代表的著作は前記『古代都市』のほかに、『古代フランスの政治制度史』Histoire des institutions politiques de l'ancienne France, 6 vols.(1875~92)がある。この著作で彼は、封建制度の形成におけるゲルマン的要素よりも、ローマ的要素の重要性を主張した。彼の歴史研究は徹底した原典史料の文献学的研究を基礎とする実証的立場にたち、その点で、19世紀末のフランス史学に大きな影響を与えた。
[前川貞次郎]
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…しかしその後の人類学者の研究の結果,彼の学説には否定的見解が多く出されている。 家族についての先駆的研究としては,これ以前に代表的なものとしてバッハオーフェン《母権論》,H.J.S.メーン《古代法》(ともに1861),フュステル・ド・クーランジュ《古代都市》(1864)が挙げられよう。《母権論》は,原初的雑交Hetärismus期に次いで母権制あるいは女人政治制Gynaikokratieを想定し,父権制に先行するものとした。…
… 宗教社会学に先駆をなしたのは,宗教の役割は時代を超越した永続性をもつものではないことを指摘したA.コントと,宗教の成立と発展は生産力と生産関係の弁証法的関係に規制されていることを説いたK.マルクスである。しかし,宗教社会学固有の立場を確立したのは,宗教が本質的に社会的性格に規制されていることを,ヨーロッパ精神の基礎をなした地域(古代ギリシア・ローマとイスラエル)を対象に,資料によって示したN.D.フュステル・ド・クーランジュとスミスWilliam R.Smithである。スミスはアラビア調査旅行の体験を踏まえて聖書文献学を行った(《セム族の宗教》1889)。…
※「フュステルドクーランジュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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