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ブラウニング Browning, Elizabeth Barrett

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブラウニング
Browning, Elizabeth Barrett

[生]1806.3.6. ダラム近郊
[没]1861.6.29. フィレンツェ
イギリスの女流詩人。早熟の詩才に恵まれ 14歳で『マラトンの戦い』 The Battle of Marathon (1820) を出版。その後事故で脊髄を痛め長期間病床にあったが,『天使の群れ,その他の詩』 The Seraphim and Other Poems (38) などで文名を確立した。 1846年父親の反対を押切って R.ブラウニングと結婚,イタリアへ駆落ちして,47年以後はフィレンツェに住んだ。傑作『ポルトガル語から訳したソネット』 Sonnets from the Portuguese (50) は夫への愛情を告白したもので,慎み深く翻訳であるかのように見せかけたもの。

ブラウニング
Browning, John Moses

[生]1855.1.23. アメリカ合衆国,ユタ,オグデン
[没]1926.11.26. ベルギー,ヘルスタル
アメリカ合衆国の銃器設計家。いわゆる「ブローニング銃」の設計者。モルモン教徒の家に生まれた。幼少の頃から発明の才があり,13歳で銃を製作,1879年に単発ライフル銃の特許をとり,ウィンチェスター・リピーティング・アームズに売却した。最も有名な製品は,レバーアクション・ライフルのウィンチェスターM1886,自動装填式散弾銃のレミントンM1905,自動拳銃のコルトM1911。ブローニング自動小銃 BARは 1918年から 1950年代までアメリカ陸軍の制式小銃(→自動小銃)。1920年頃から 1980年代までアメリカ軍は,ほぼブラウニング製の拳銃,小銃,機関銃,機関砲のみを用いた。21世紀になってもこれらの銃砲は改良されたものが各国で使用されている。(→コルトレミントン

ブラウニング
Browning, Robert

[生]1812.5.7. ロンドン
[没]1889.12.12. ベネチア
イギリスの詩人。 1846年エリザベス・バレットとイタリアへ駆落ちしたが,61年妻に先立たれて帰国,その頃から名声が高まって,ついにテニソンと並ぶビクトリア朝の代表詩人となった。好んで劇的独白の手法を用いて人間の性格や心理を力強く表現した。主要作品『クリスマス前夜と復活祭日』 Christmas-Eve and Easter-Day (1850) ,『男と女』 Men and Women (55) ,『登場人物』 Dramatis Personae (64) ,『指輪と書物』 The Ring and the Book (68~69) ,『劇的牧歌』 Dramatic Idyls (79,80) 。

ブラウニング
Browning, Tod

[生]1882.7.12. ケンタッキールイビル
[没]1962.10.6.
アメリカの映画監督。 1925年から 39年にかけて怪奇映画を多く作った。おもな作品は『ドラキュラ』 Dracula (1931) 。

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百科事典マイペディアの解説

ブラウニング

英国の詩人。R.ブラウニングと1846年に結婚。病身のため結婚後はフィレンツェに住んだ。夫とのロマンスを歌いあげた恋愛詩集《ポルトガル人のソネット》(1850年)と物語詩《オーロラ・リー》(1857年)が代表作

ブラウニング

米国の銃砲技術者。鉄砲職人の子。25歳のとき新式単発銃を発明,以後,自動小銃,拳銃,機関銃の発明と改良を続け,自動火器の父と称される。その設計になる小火器は多く米国軍隊の制式に採用された。

ブラウニング

英国の詩人。劇詩《パラセルサス》(1835年)によって認められ,のち長詩《ソーデロー》,詩集《男と女》(1855年)《登場人物》(1864年),かつて起きた殺人事件をいろいろな視点から物語った長詩《指輪と本》(1868年―1869年)などを発表し,ビクトリア朝の代表的詩人となった。
→関連項目テニソンブラウニング

ブラウニング

米国の映画監督。ケンタッキー州生れ。サーカスやボードビルの世界をへて,1913年映画界入り。D.W.グリフィス監督の《イントレランス》(1916年)に出演するとともに助監督をつとめる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ブラウニング【Elizabeth Barret Browning】

1806‐61
イギリス,後期ロマン派の詩人。思春期結核のため病人生活を送ったが,かえって彼女の鋭敏な感性が磨かれ,田舎での広範な読書も実って,1820年ごろからつぎつぎと詩集やエッセーを出した。しかし名声を高めたのは,夫ロバート・ブラウニングへのひたむきな愛をうたいあげた44編の詩集《ポルトガル人のソネット》(1850)である。40歳まで異性との愛をあきらめていた女の愛の歓喜を,神への信仰と死への恐怖を交錯させながら,巧みに表現したものである。

ブラウニング【Robert Browning】

1812‐89
イギリス,ビクトリア朝の詩人。宗教と科学の葛藤で懐疑主義が支配した時代にあって,主観を客観化して〈他我alter ego〉の声をつたえる〈劇的独白dramatic monologue〉の新詩をつくり出し,20世紀文学に多大の影響を与えた。銀行員の父と組合教会派の母の間に生まれ,1828年ロンドン大学に入学したものの理想と合わず中退。一時シェリーの思想に感染した。懐疑的宗教観をもつ処女作《ポーリン》(1833),富や愛欲と理想との葛藤を描く《ソーデロー》(1840)を発表,35‐42年には俳優で劇場マネージャーのW.C.マックレディの影響で劇作品を書いたが,上演は成功しなかった。

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大辞林 第三版の解説

ブラウニング【Robert Browning】

1812~1889) イギリスの詩人。テニソンと並ぶビクトリア朝の代表的詩人。「劇的独白」と呼ばれる独自の心理的手法を得意とした。作「鈴とザクロ」「指輪と本」など。

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世界大百科事典内のブラウニングの言及

【イギリス文学】より

…やがて産業資本家たちの自然,そしてダーウィンの自然へと移っていったからである。テニソンやブラウニングは,まだビクトリア朝の思想,道徳,哲理を彼らの詩作品に歌いえたが,そのあと,新しい科学思潮と,肥大した商工業社会の成長の渦に巻きこまれて,詩人の声は急激な変質を余儀なくされた。かつては社会,政治,思想,知識,道徳,信仰に直接〈参加〉する声であったものが,自分ひとりでささやく声へ変質していったのだといえよう。…

※「ブラウニング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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