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ブレダ Breda

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブレダ
Breda

オランダ南部,ノールトブラバント州の都市。ロッテルダムの南東約 40km,メルク川とアー川の合流点に位置する。ブラバント公領の一部として 1252年都市権を獲得,1404年ナッソー伯領となり,1531~36年要塞化され,以後 19世紀まで軍事拠点として重視されてきた。 1625年のスペイン人の侵略は,ベラスケスの大作『ブレダの開城』 (1634~35,プラド美術館) に描かれている。 67年には第2次蘭英戦争の講和のための「ブレダの和約」が結ばれ,イギリスは北アメリカ大陸オランダ植民地を獲得した。製糖,機械,繊維工業が盛ん。ゴシック建築のプロテスタント大聖堂 (15世紀) ,カトリック司教座のある聖バルバラ聖堂 (1869) ,市庁舎 (1766) などがある。人口 12万 6709,大都市圏 16万 2951 (1992推計) 。

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百科事典マイペディアの解説

ブレダ

オランダ,北ブラバント州の都市。マルク川に臨む。機械・繊維・食品加工・タバコ工業などが行われる。旧城に士官学校がある。1566年貴族たちとスペインとの間にブレダの和約が成立,スペイン軍が撤退。

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世界大百科事典 第2版の解説

ブレダ【Breda】

オランダ,北ブラバント州の都市。人口11万7259(1980)。機械,重電機化学繊維,食品加工,ビール醸造などの諸工業からなる工業都市。アー川とマルク川が合流する地点にあり,昔から水運をはじめとして交通の便に恵まれ,大陸とイギリスとの往来の要衝として発展してきた。都市としての成立は1252年以前のことで,ナッサウ伯家とのつながりが強かった。1534年の大火でほぼ町全体が焼失したが,同伯家の援助のもとに復興した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブレダ
ぶれだ
Breda

オランダ南部、ノールト・ブラバント州にある都市。人口16万2308(2001)。ベルギー国境に近いマルク川とアー川の合流点に位置し、道路交通の要衝である。機械、繊維、食品などの工業が発達する。12世紀にはブラバント公の直領地であったが、1252年に自治権を獲得、16世紀には要塞(ようさい)化された。独立戦争中にはスペインとの間で争奪が繰り返され、とくに1625年にスピノラ将軍指揮下のスペイン軍に降服した模様はベラスケスの絵画『ブレダ開城』によって有名である。しばしば歴史的舞台となり、1566年のオランダ・スペイン間のブレダ和約、イギリスのチャールズ2世が王政復古直前の1660年4月に発したブレダ宣言、第二次イギリス・オランダ戦争を終結させた1667年のブレダ条約などが知られる。ゴシック様式のフローテ教会、オランダ・ルネサンス様式の陸軍士官学校などがあり、ローマ・カトリックの司教座も置かれている。[長谷川孝治]

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