ヘルメス思想(読み)ヘルメスしそう

改訂新版 世界大百科事典 「ヘルメス思想」の意味・わかりやすい解説

ヘルメス思想 (ヘルメスしそう)
Hermeticism

ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれるヘルメスとトートの習合神の教えと信じられた西洋の思想的伝統で,紀元前後ころ多分エジプトで成立したと考えられる。秘教として受け継がれ,ヨーロッパおよびイスラム圏で占星術および錬金術の哲学として研究され,後者ではシーア派イスラム神学と結びついて展開した。とくにルネサンス時代にイタリアで《コルプス・ヘルメティクム》が翻訳刊行されて人々に大きな影響を与え,中でもコペルニクス,W.ギルバート,ケプラーなど近代科学の創始者たちに信奉されて近代科学成立の一つの契機となった。17世紀以後は公然化しなかったが,薔薇(ばら)十字団など秘密結社の中で受け継がれて技術者や芸術家の間に信奉者を見いだし,19世紀以降はロマン主義や象徴主義,シュルレアリスムなど主として文学,芸術において開花した。

ヘルメス思想の伝統の内部では,その教義はヘルメス・トリスメギストスに始まる。ルネサンス時代に信じられていた〈古代神学prisca theologia〉の系譜によれば,ヘルメス・トリスメギストスはモーセと同時代人で,その教えをオルフェウスが継ぎ,アグラオフェモスを通じてピタゴラスに伝えられ,その弟子フィロラオスからプラトンに受け継がれたとされている。そしてヘルメス・トリスメギストスの語録が《コルプス・ヘルメティクム》であると信じられた。これに対し,17世紀初頭にジュネーブ生れの文献学者カソボンが《コルプス・ヘルメティクム》を詳細に検討し,その文体が初期ギリシア語のものでないこと,後期ギリシア語の語彙から成っていること,プラトンやアリストテレスなどの哲学者たちがヘルメス・トリスメギストスについて何も語っていないこと,新約の《ローマ人への手紙》に似たところがあることなどから,キリスト教成立以後のもので,キリスト教徒ないし半キリスト教徒の手になるものとした。

 エジプトには古くから学問・技芸の神トートへの信仰があり,先駆をなす思想はあったであろうが,ヘルメス思想はその現存最古の文献もギリシア語で書かれており,〈ヘルメス〉の語もギリシアの神名であってギリシア文化圏の中で形成されたことは疑えない。《コルプス・ヘルメティクム》は後2~3世紀ごろの成立と思われるが,これ以外にヘルメスの名を冠した占星術や錬金術の文献があり,それらは前3世紀にさかのぼると推定されている。当時はポリスが崩壊して人々が心の拠り所を失うとともに国際化が進み,人生や世界の意味が問われていた時代であり,弁論に終始する哲学や形式化した既成宗教では個人の魂の救済が望めなかった思想状況にあったので,プラトン主義や新ピタゴラス主義の哲学を根幹とし,当時流行していたグノーシス主義やカルデアの神託,それにゾロアスター教や占星術,錬金術の思想をも取り入れてヘルメス思想が成立したと見られる。

ヘルメス思想はキリスト教でもイスラム教でも公的なものとして公認されず秘教としてのみ伝えられ,また書かれたものは象徴に満ちているので,正確な教義内容の把握は困難である。かつ歴史的経過の中で,キリスト教,ユダヤ教,マニ教,イスラム教など各宗教の神秘主義と結びつき,また変形をとげた。しかし《コルプス・ヘルメティクム》という基本文献の集成と5世紀にストバイオスが集めた断片集があり,初期のキリスト教批判者たちの報告やアプレイウスが訳したと信じられたラテン語訳《アスクレピオス》が残っており,1945年にナグ・ハマディで発見されたコプト語文書の中にヘルメス文書が含まれることがわかって,初期の思想についてはほぼ明らかになりつつある。それも種々の思想や教理を含み多様なのであるが,ヘルメス思想の基本部分は次のように言えよう。

 何よりも特徴的なのは,宇宙を一つとみることであって,〈全は一,一は全〉と説く。したがって,すべては同一の本質をもち全体を反映している。とくに人間は〈小宇宙(ミクロコスモス)〉であって〈大宇宙(マクロコスモス)〉と照応し合い,同じ法則にもとづいてつくられている。大宇宙は小宇宙を含むが,さらにその大宇宙を包み込むのが〈光(フォス)〉の世界であり,これらすべての上に〈神(テオス)〉が存在する。光の世界は〈霊(プネウマ)〉の世界であり物体的なものではない。大宇宙では〈闇(スコトス)〉(物体,肉体)と光が混在していて可視的であるが,恒星天以下の七つの各天球(惑星のある天球)にはそれぞれ〈支配者(アルコン)〉(天使)がおり,人間にも〈魂(プシュケー)〉がある。神は万物の父で生命で光である〈叡知(ヌース)〉であるが,これが自分に似せて(肉体をもたない原型としての)〈人間〉をつくり,原人間は七人の支配者から贈物(運命)を受け取って下界に降りる。闇から出た(水と土からなる)〈自然〉は下降中に人間を愛し,人間は水に映った自分の姿を愛して自然と一つになり,肉体をもった人間になった。こうして本来の人間(霊)は不死であるが肉体は可死的なものであり,肉体の死まで霊は肉体の奴隷になっている。このように肉体のとりこになった霊が〈魂〉である。しかし〈霊知(グノーシス)〉をもった人は〈上への道〉を経て故郷である光の世界に帰ることができる。こうして天界も地上のものも同様に成り立ったもので,両者は照応し合っている。神=光=ヌースは大宇宙の外が本来の住居であるが,このように宇宙に遍満しているのであり,すべては生きており,火は地上の光である。太陽は万物の父であり〈意志(テレスマ)〉であるとイメージされる。それは光の凝固したものである。人間(および自然物)が各惑星天から受け取る〈運命(ヘイマルメネ)〉を知るのが占星術であり,宇宙の創造過程と同じプロセスを実現することが錬金術である。《コルプス・ヘルメティクム》冒頭の《ポイマンドレス》では,〈人間は火の中に造物主の創造を観察し自分でも造りたいと思った。そして彼は父から許可された〉と述べられている。錬金術は必ず火を用いて処理する。人間は宇宙を反映しているから,宇宙の誕生は人間の誕生に照応する。創造は男性的原理(火)と女性的原理(物質)によって行われ,自然物は互いに交感し合っており,〈共感(シュンパテイア)〉で結ばれている。天体から地上へは微妙な作用素(エフルウィアeffluvia)が絶えず流出し物質に流入するので(《アスクレピオス》),地上のすべてのものは天体の作用(インフルエンティアinfluentia)を受ける。この流入をとらえるのが魔術であって,そのために天の支配者たちの像を描き呪符をつくる(《ピカトリクス》)。なお《ピカトリクス》は12世紀にアラビアで著されたと思われる書物であるが,スペイン語訳やラテン語訳が回読されてヨーロッパでも影響が大きかった。

ヨーロッパでは11世紀にプセロスが《コルプス・ヘルメティクム》に言及しているので,ひそかに伝えられていたことがわかるが,イスラム圏では,ヘルメス・トリスメギストスを精神的父祖としていたシバ(サバ)人で,初期のアラビア科学者として有名なサービト・ブン・クッラがシリア語で《ヘルメスの教え》を書いてみずからアラビア語に訳した。同様にヘルメスを預言者の一人として扱っていたマニ教を受け継いだイスラム教シーア派はヘルメスをイドリース(旧約聖書のエノク)と同一視し,ズー・アンヌーンによってイスラム神秘主義(スーフィズム)にも影響を与えた。イスラム圏でヘルメス思想の影響を受けた著名な科学者や思想家としてはキンディー,ジャービル・ブン・ハイヤーン,イブン・アルハイサム,スフラワルディーらがいる。

 中世ヨーロッパには〈聖杯伝説〉のようなヘルメス思想の文学的変種もあったが,十字軍派遣中にシーア派イスラムの一派であるイスマーイール派と接触したテンプル騎士団がとくに強い影響を受け,ローマ・カトリック教会の弾圧後もその流れを受け継いだ組織があり,〈聖なる信実団Fede Santa〉や〈愛の信徒団Fidèles d'Amour〉の一員であった詩人のダンテにはヘルメス思想が色濃く影を落としている。12世紀に弾圧されたカタリ派もヘルメス思想の一つの流れを汲んでいた。ユダヤ教の中にもカバラと呼ばれる秘教の伝承があったが,これにもヘルメス思想の影響がみられる。13世紀以後のヨーロッパでは錬金術的著作がアルベルトゥス・マグヌスやR.ベーコン,ルルスなどによって研究され,ヘルメス思想の文学的表現として《薔薇物語》が書かれた。ヘルメス思想の象徴的表現としてのタロットもこのころ普及した。15世紀には,フィレンツェにプラトン・アカデミー(アカデミア・プラトニカ)が創設されてヘルメス思想を広め,1469年には《アスクレピオス》,71年にはフィチーノのラテン語訳による《コルプス・ヘルメティクム》が印刷刊行されて,デューラーレンブラントなどの画家,ラブレーやシラノ・ド・ベルジュラックらの作家,パラケルススやJ.B.vanヘルモントらの医化学派(医療化学派)の医者にも大きな影響を与えた。

 イタリアにはフィチーノやピコ・デラ・ミランドラなど多くのヘルメス主義者がいたが,当時イタリアに留学中だったコペルニクスがその影響を受け,ヘルメス思想の太陽中心説を採用して新しい宇宙像をつくった。また円環的時間概念をもつヘルメス思想の洗礼を受けてセルベトゥスが血液の肺循環説を唱えた。さらにギルバートは天体の作用素(エフルウィア)を採用して磁気による引力論を唱えた。そのほか,ブルーノ,フラッド,ディー,W.ローリー,ケプラー,さらにニュートンやライプニッツにまで影響を及ぼしている。ヘルメス思想がこのように近代科学の創始者たちと結びついているのは,当時のアリストテレス主義自然学克服の課題と関係していたからである。すなわち,アリストテレス主義では月の天球より下の世界と上の世界にはまったく別の原理が働いているとされたが,ヘルメス主義によれば天も地も同じ秩序のもとにあると考えられた。さらにヘルメス的科学は,実験に訴え数学を重んじたので論証をもっぱらとして数学を避ける当時のアリストテレス主義自然学を乗り越え,近代科学を用意する一要因となったのである。

 17世紀に入るとデカルトとメルセンヌが機械論的自然観を主張してヘルメス思想を精力的に批判し,一部を除いてヘルメス主義的科学者は影をひそめた。ヘルメス思想家たちは薔薇十字団を結成して潜行し,ファルツ侯フリードリヒ5世の保護のもとに技術者を中心に活動したが,三十年戦争のため挫折し,17世紀中ごろ以後はフリーメーソンに依拠して活動した(そのシンボルであるペリカンはヘルメス思想における〈賢者の石〉を,ロッジは小宇宙を表すものとみなされている)。17世紀以後では,ベーメ,メーストルのほか,ゲーテ,シュレーゲル兄弟,ノバーリス,ティーク,シェリングらのロマン主義者たちが影響を受け,モーツァルトにもこの思想は反映しているといわれる。

 科学ではその後は機械論が支配的となったので影響は文学や芸術の分野で花開いたが,画一性を排して個別性を求める傾向や自然との共感,さらに〈意味〉を再発見しようとする現代の思想状況の中でヘルメス思想があらためて見直されてきており,精神分析の面からもユングなどによりその意義が再評価されつつある。
神秘主義
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百科事典マイペディア 「ヘルメス思想」の意味・わかりやすい解説

ヘルメス思想【ヘルメスしそう】

ヘルメス・トリスメギストスに帰せられた教説に発する秘教的思想伝統をいい,英語ではHermeticism。西暦紀元前後5,6世紀のあいだに,エジプトでピュタゴラス主義,プラトン主義,ストア主義,密儀宗教,グノーシス主義,占星術,錬金術などを摂取・統合して成立したと見られる。史料の総称が〈ヘルメス文書〉。生気論・化生論的世界観,ミクロコスモス=マクロコスモスの照応説,天体の作用力とその操作可能性の主張などに特色がある。イスラム圏,ヨーロッパにも浸透し,特にフィチーノによる《コルプス・ヘルメティクム(ヘルメス選集)》のラテン語訳は大きな影響力をもった。近代科学成立への寄与を強調するF.A.イェーツのような学者もいる。19世紀以降のロマン主義,象徴主義など芸術運動に霊感を与えた点も見逃せない。→神秘主義
→関連項目魔術ミクロコスモス・マクロコスモスユング錬金術

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘルメス思想」の意味・わかりやすい解説

ヘルメス思想
ヘルメスしそう

1~3世紀にギリシア文化圏において成立した『ヘルメスの書』のなかに見られる思想。新プラトン主義の影響が色濃く,またキリスト教,ユダヤ教,イスラム教の神秘思想も反映している。このヘルメス思想は,イスラム圏内ではシリアとアラブの文学を通じて伝播し,西欧では 1463年に完成したフィチーノのマルシリウスの手によるラテン語訳によって広まっていった。以降この考え方は,イタリアのプラトン学派やパラケルススだけでなく,レンブラント,シェークスピア,さらにはコペルニクスやケプラー,ニュートンなどといった人々にも強い影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内のヘルメス思想の言及

【ミクロコスモス】より

…この伝統はボエティウスや新プラトン主義を介して西欧に伝えられ,中世プラトン主義の拠点となったシャルトル学派のベルナルドゥス・シルウェストリスらによって代弁された。さらにルネサンス期になると,フィレンツェ・プラトン主義者グループのフィチーノらによってヘルメス思想と融合され,ルネサンス期世界観の典型となった。たとえばレオナルド・ダ・ビンチに明らかなように,ミクロコスモスとマクロコスモスとの間には厳密な類比関係があり,両者はともに機械的ではなくて生命的な存在だとされる。…

※「ヘルメス思想」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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