前3~後3世紀ごろ,エジプトのナイル沿岸都市で執筆された匿名の文書群で,ヘルメスの名を掲げている。ヘルメス文書の作品とみなすか否かは,内容上の基準で決めるより,導師ヘルメス・トリスメギストスが弟子に教えを伝授する形式によっているかどうかで判断されてきた(ただし例外もある)。古代のヘルメス文書は膨大な量に上ったらしく,20世紀中葉,上エジプトで発見されたナグ・ハマディ文書(ナグ・ハマディ)の一部もヘルメス文書である。今日に伝存しているのは全体の一部であり,それは(1)《コルプス・ヘルメティクム(ヘルメス選集)》や《アスクレピオス》などを含む哲学・宗教的作品,(2)占星術,(3)錬金術,(4)魔術作品その他に分類できる。原文はほとんどの場合ギリシア語であるが,現存するものにはそのラテン語訳(その他の翻訳)しかないことも少なくない。
作品を構成する素材としてはプラトン主義,ストア学派のギリシア的要素が中心をしめるが,エジプト文化やユダヤ教などのモティーフも無視できない。思想内容にはグノーシス主義の先鋭な二元論から汎神論的一元論まで見られる。《コルプス・ヘルメティクム》を例にとれば,第Ⅰ冊子はグノーシス思想,第ⅩⅠ冊子は汎神論的,第Ⅸ冊子はゆるやかな二元論といったぐあいである。主題も多彩であって,万有の本性について,魂の救済について,占星術の原理や魔術を行う際の手続等々について論じられる。そうした教えはヘルメスと弟子の対話という形式で伝授されることが多いが,実質は託宣でありヘルメスの独白が大部分である。ヘルメス文書の著者がどのような人々であったかは推定の域を出ないが,彼らはエジプトの,ギリシア・ローマ風の都市で著作活動を行ったものと思われる。典型的にはアレクサンドリアの異教的知識人を著者の例とすることができる--しかもいくつかの理由から,神殿に属する神官たちであったと考えてよいだろう。
ヘルメス文書は,後世になるとヨーロッパおよびイスラム世界に浸透する。まず,ラクタンティウスやアレクサンドリアのキュリロスなど,古代キリスト教教父の中にヘルメス文書を引用・言及し,ヘルメスへの最大の尊敬を表明する人々がいた。またこの時期にラテン語訳も始まり,とくに《アスクレピオス》のラテン語訳はヨーロッパ中世を通じて影響を残した。中世はまた多くのヘルメス文書〈偽典〉を生んだ。ルネサンス時代,とくに16世紀にはヘルメス文書の大流行が起こり,その発端は,フィチーノによる《コルプス・ヘルメティクム》ラテン語訳(表題は《ピマンデル》)であった。これには別の多くの版や注解が続き,その結果本文書の文化史上における意義は絶大なものとなった。他方,イスラム圏への伝播はシリアを通じてなされ,サービト・ブン・クッラはシリア語で《ヘルメスの教え》を書き,さらにアラビア語訳した。ほかにイスラム神秘主義(スーフィズム)への波及もあったと言われる。
→グノーシス主義 →ヘルメス思想
執筆者:柴田 有
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紀元前3~後3世紀ごろ、エジプトのナイル沿岸都市で執筆された文書群。普通、導師ヘルメス神が教えを伝授する形式で構成されている。文書の相当部分は散失したが、伝存しているものによって教えの内容を分類すると、哲学、宗教、占星術、錬金術、魔術などとなる。全体として、ギリシア思想を土台としつつエジプト固有の要素も加味した、ギリシア語の文学であるといえる。架空の著者ヘルメス神は、ヘレニズム時代によくみられる混交宗教型の神で、ギリシア神話とエジプト神話を背景にことばや学問をつかさどる者とされる。しかし実際の著者は、たとえばエジプトのアレクサンドリアなどヘレニズム都市で知識階級をなしていた神官たちではなかったかと推定される。興味深いことに、古代キリスト教の指導者はしばしば、ヘルメスをモーセと同等の預言者とみなしたり、ヘルメス文書を援用したりしている。アウグスティヌスのように一定の警戒心を示した場合もあるにせよ、ヘルメス文書がヨーロッパ文化史のなかに流入して少なからぬ影響を及ぼし、ルネサンス期に大流行となったその遠源は、すでに古代にあったものと思われる。
[柴田 有]
『荒井献・柴田有訳『ヘルメス文書』(1980・朝日出版社)』▽『柴田有著『グノーシスと古代宇宙論』(1982・勁草書房)』▽『有田忠郎訳『ヘルメス叢書』(1977~79・白水社)』▽『清水純一著『ジョルダーノ・ブルーノの研究』(1970・創文社)』
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…こうして,エジプトのアレクサンドリアを中心に,前3世紀ごろから錬金術思想が定着しはじめた。 まわりをとりかこむ赤茶けた不毛の土地とは対照的な大河ナイルのもたらす豊饒のシンボルとしての黒土,こういう〈黒〉から出発する〈大いなる術〉としての錬金術は,また一般に〈ヘルメスの術(オプス・ヘルメティクムopus Hermeticum,ヘルメティカHermetica)〉,ないし〈ヘルメス=トートの術〉とも呼ばれた。トートはエジプト古来の技芸をつかさどる神で,死者の魂の導き手,ヘルメスはギリシア神話の神々の使者であり,かつ死者の魂を地下のハデスへ導く神(プシュコポンポス)でもあった。…
…ここでフィチーノは,古典手稿の研究翻訳に着手し,《オルフェウス頌歌》やプロクロス,ヘシオドスの神学的作品などを訳了した。なかでも錬金術の原典としてのヘルメス文書から訳出(1471)された《アスクレピオス》や《ポイマンドレス》は,当時の人々に争って読まれた。1463年にはプラトンの全著作の翻訳を始め,それらは注解を付されて84年に出版され,ここに初めてプラトンの全貌がヨーロッパに紹介されることになった。…
…かつ歴史的経過の中で,キリスト教,ユダヤ教,マニ教,イスラム教など各宗教の神秘主義と結びつき,また変形をとげた。しかし《コルプス・ヘルメティクム》という基本文献の集成と5世紀にストバイオスが集めた断片集があり,初期のキリスト教批判者たちの報告やアプレイウスが訳したと信じられたラテン語訳《アスクレピオス》が残っており,1945年にナグ・ハマディで発見されたコプト語文書の中にヘルメス文書が含まれることがわかって,初期の思想についてはほぼ明らかになりつつある。それも種々の思想や教理を含み多様なのであるが,ヘルメス思想の基本部分は次のように言えよう。…
…そこから,ヘルメス・トリスメギストスの名を掲げる学問・芸術・技術の諸成果が現れ,古代からルネサンスのヨーロッパおよびイスラム圏にわたっている。その発端をなすものがヘルメス文書(前3~後3世紀)である。これはエジプトで執筆された。…
…両神の習合がヘレニズム時代に進み,アレクサンドリアを中心に,ヘルメスという名を冠する者たちがあらわれて〈ヘルメス=トートの術〉を伝授した。現存する〈ヘルメス文書〉(3世紀)に出てくるヘルメス・トリスメギストス(〈3倍も最も偉大なるヘルメス〉の意。ロゼッタ・ストーンには単に〈偉大なる〉が2回くり返されているのみ)がこの術の始祖とされ,やがて3世紀ころには最高の知恵の所有者として崇拝されるようになった。…
※「ヘルメス文書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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