ホンタイジ(皇太極)(読み)ホンタイジ(英語表記)Hongtaiji

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ホンタイジ(皇太極)」の解説

ホンタイジ(皇太極)
ホンタイジ
Hongtaiji

[生]万暦20(1592).10.25.
[]崇徳8(1643).8.9.
中国,清朝の第2代皇帝 (在位 1626~43) 。姓はアイシンギョロ (愛新覚羅)は文皇帝。廟号は太宗。ヌルハチ (奴児哈赤)の第8子で生母はエホナラ (葉赫納喇) 氏。天命1 (16) 年に和碩貝勒に任じられ,長兄のダイシャン (代善) らとともに四大貝勒の一人として国政に参加,ドゥイチベイレ (第四貝勒) と称された。ヌルハチ没後にダイシャンを退けて汗位につき,年号を天聡と定め,遼東半島の平定,文館,六部,理藩院,都察院などを設置し,内政に努めた。天聡9 (35) 年に内モンゴルを平定し,チャハル部族長から「大元伝国の璽」を献上されると,それまでの満州人中心的な国号「後金」を「大」とめて皇帝位につき,崇徳と改元した。そののち李氏朝鮮を平定して朝貢国とする一方,しばしば中国本土に侵入したが,崇徳8 (43) 年に急死した。ホンタイジはその1代で清朝の中国支配の基礎を確立したといえよう。

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百科事典マイペディア「ホンタイジ(皇太極)」の解説

ホンタイジ(皇太極)【ホンタイジ】

中国,朝第2代皇帝(在位1626年―1643年)。廟号は太宗。諡(おくりな)は文皇帝。太祖ヌルハチの第8子。父の死後,推されて後金(こうきん)国のハーン(汗)となる。1627年天聡と改元し,朝鮮を屈服させて和議を結び,モンゴルを平定。1636年国号を大清とし,ヌルハチ創業のあとを継いで制度・文物を整え,数度にわたり明に侵攻した。
→関連項目ドルゴン(多爾袞)八旗

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