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ボリビア史 ボリビアし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボリビア史
ボリビアし

紀元前よりティアワナコを中心として繁栄した同地のアイマラ族の文化圏も,15世紀にはインカ帝国の一部となった。 1538年スペイン人の征服が進み,以後3世紀の間アルトペルーと呼ばれてスペインの植民地となった。長らくペルー副王領の一部であったが,1776年リオデラプラタ副王領が設置され,その管轄に入った。 1545年発見されたポトシを中心とする銀の産出はスペイン最大の富源とみなされ,17世紀中頃まで人口の集中をみたものの,先住民の強制労働は悲惨をきわめ反抗も起った。その独立は 1824年 A.スクレの率いる独立軍が勝利を得たことにより達成され,翌年8月議会は独立の功績者 S.ボリバルにちなみ国名をボリビアと名づけて独立を宣言し,初代大統領にスクレを選出した。独立後も政情は安定せず,頻発するクーデター,独裁,憲法改正によって動揺を続け,とりわけ外国との紛争によって重大な影響をこうむった。 A.サンタ・クルスのペルー合邦戦争 (1836~39) に次いで,太平洋戦争 (79~84) で再度チリに敗れ,太平洋岸の領土を失い,またブラジルとの国境紛争で 1903年領土の一部をブラジルに割譲した。政変と生産低下に悩まされた同国経済も,1880年代から起ったスズに対する国際的需要増大から立直りをみせ,外資導入も進んでその後 1920年代まで安定が続いた。しかし世界恐慌とパラグアイとのチャコ戦争 (1932~35) による悲惨な敗北は,同国経済を破壊し,軍部の勢力を台頭させ,一方大資本の支配に対する批判を強めた。 D.トロ,G.ブッシュ両政権の革新政策は第2次世界大戦中の E.ペニャランダ政権によってくつがえされ,国民革命運動 MNRによって成立した G.ビリャロエル政権もクーデターによって倒され,その後反動政治の弾圧が続いた。 1951年の大統領選挙で勝利を得た V.パス・エステンソロは,52年クーデターでようやく政権の座につき,「ボリビア革命」と称される一連の急進的改革,農地改革,スズ鉱山国有化,普通選挙制などを実施した。しかし生産活動の停滞とインフレの高進に悩み,アメリカとの協調や国営鉱山企業の合理化,民兵の解散を求めたため,革命運動は分裂し,64年の大統領選挙で軍部と妥協したことが,ついに R.バリエントス・イ・オルトゥニョのクーデターを招くこととなり,パス・エステンソロは亡命した。その後クーデターによる A.オバンド,J.トレスの短命な左傾軍事政権を経て,71年に H.バンセル・スアレス将軍の保守的独裁政治が生れたが,78年には,J.ペレーダ,D.パディジャの軍事政権,79年に W.ゲバラ,次いで初めての女性大統領 L.ゲイレルの文民内閣が誕生した。しかし 80年7月再び軍事クーデターが起り,L.ガルシア将軍が大統領となった。その後軍の政権放棄により 82年国会が左派連立のシレスを大統領に選出,85年の選挙ではパス・エステンソロが大統領に返り咲き,89年パスサモラ政権と民政が続いている。 93年8月誕生のサンチェス政権では,アイマラ族出身のカルデナスが初の先住民族出身者として副大統領に就任した。

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