ドイツの天文学者。ハンブルクに生まれる。少年のころより天文にあこがれ、日食の観測記録をつけ、21歳のときに書いた『星空の知識への入門』は好評を博し、以後100年間近くも印刷され、無数の同好者を育てた。1772年、ボーデはランベルトによりベルリン科学アカデミー付属ベルリン天文台の台員に採用された。1774年に出版された『天文年表(1776年用)』はボーデが計算した成果で、高い評価を得、その後彼が死去する年まで毎年編集公刊され続けた。このほかに、1万7000個の恒星を記載した星表は当代随一の精密さを誇り、とくに黄道星座が有名であった。惑星の平均距離を数列表現した「ティティウス‐ボーデの法則」は、ドイツの科学者ティティウスが発見したものであるが、これをボーデが学界に紹介し、広めたためにその名がある。前記の年表と星表はピアッツィの小惑星(準惑星)ケレスの発見(1801)の際にも、ガルレの未知惑星海王星の発見の際にも判別資料として役だった。
[島村福太郎]
ドイツの天文学者。ハンブルクに生まれる。若くして天文観測に熱中し,1766年8月5日の日食を観測して研究報告をした。また68年に出版した《星界の知識入門》は広く読まれそれを機縁に学会にも認められた。72年にベルリン天文台に招かれて天体暦の編纂(へんさん)に携わることとなり,74年に《ベルリン天体暦》を創刊して1824年度まで担当した。1786年にはベルリン天文台長となり1825年まで在職した。ボーデはF.W.ハーシェルが1781年に発見した新惑星をウラヌス(天王星)と命名し,また惑星の距離に関する〈ボーデの法則〉の紹介者としてもっとも著名である。そのほかに多くの著書によってドイツ国内の天文学普及に貢献した。とくに《ウラノグラフィア》(1801)という20枚の星図帳は星や星雲など1万7240個を記載したカタログ付きで長く天文学者に用いられた。
執筆者:堀 源一郎
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