イタリアの天文学者。若くしてテアチノ修道会に入り,修道士としてミラノで勉学に励み,ローマで哲学と数学の学位を得,1769年から10年間イタリア各地で数学を教えた。80年,シチリア島の総督カラマニコ公に招喚されて同地パレルモアカデミーの数学教授となったが,その際に新天文台建設の希望がいれられて,90年にはパレルモ天文台が開設,ピアッツィはその台長となった。新天文台でピアッツィが取り組んだのは恒星位置(赤経と赤緯)の決定である。パレルモ天文台は当時ヨーロッパの天文台の中でもっとも南に位置して南天の多くの星が観測でき,気象条件も天体観測に適していた。さらにピアッツィがイギリスのラムスデンに依頼した150cm目盛環を擁する子午環が,18世紀の技術の頂点を極める逸品であったことも加え,1803年に最初の10年間の成果として6748個,13年には次の10年間の成果である7646個の恒星の位置を決定し公刊した。これらは当時最高の精度を有し,アカデミー・デ・シアンスは双方にラランド賞を贈った。これらの恒星位置観測中の1801年1月1日に偶然,小惑星第1番のケレスを発見することとなった。17年から当時建設中のナポリ天文台の完成にも参画し,24年からナポリに移ってそこで死去。晩年ナポリの科学アカデミーの会長に選ばれた。
執筆者:堀 源一郎
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イタリアの天文学者。小惑星第1号の発見者。北イタリアに生まれ、18歳でカトリック修道士となる。ローマ大学、トリノ大学などで初め哲学を、ついで数学と天文学を学び、1779年ローマ大学の哲学教授、1780年にパレルモ大学の数学教授に就任した。1791年パレルモ天文台を建設して初代台長となった。重要な恒星の正確な位置を決定することを目標として観測中、1801年1月1日に視運動する天体を発見した。これこそ小惑星第1号であってケレスと命名した。1803年と1814年に恒星表を公刊し、計1万4000個の恒星位置を発表した。1817年ナポリ天文台長を兼任して、その地で没した。なお、ケレスは2006年以降、国際天文学連合(IAU)総会で定義された準惑星となった。
[島村福太郎]
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