ボールドウィン(英語表記)James Arthur Baldwin

デジタル大辞泉 「ボールドウィン」の意味・読み・例文・類語

ボールドウィン(James Arthur Baldwin)

[1924~1987]米国の小説家。個人的体験に基づきつつ現代人の普遍的問題を描き、黒人文学に新境地を開いた。作「山に登りて告げよ」「ジョバンニの部屋」「もう一つの国」など。

ボールドウィン(Stanley Baldwin)

[1867~1947]英国の政治家。保守党の指導者。1923年から1937年まで三度首相を務め、社会・経済政策に尽力。

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精選版 日本国語大辞典 「ボールドウィン」の意味・読み・例文・類語

ボールドウィン

  1. [ 一 ] ( Stanley Baldwin, 1st Earl Baldwin of Bewdley スタンリー━、ファースト=エール━オブ=ビュードリー ) イギリスの政治家。保守党に属し、商相、蔵相を経て、三度首相となり、財政危機の克服に尽力した。(一八六七‐一九四七
  2. [ 二 ] ( James Baldwin ジェームス━ ) アメリカの作家。人種差別による黒人の苦悩とアメリカ社会の病理を描き、人間性の回復を訴えた。作品「山にのぼりて告げよ」「ジョヴァンニの部屋」「もう一つの国」など。(一九二四‐八七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボールドウィン」の意味・わかりやすい解説

ボールドウィン(James Baldwin、作家)
ぼーるどうぃん
James Baldwin
(1924―1987)

アメリカの黒人作家。ニューヨークハーレムに生まれる。14歳のとき義父と同じ説教師になるが、17歳で教会を飛び出し、給仕、労働者などの職を転々としながら文学に専念する。1948年パリに渡り、約8年半滞在、これまで「抗議」の枠内に局限されていた黒人文学に新たな局面を開いた自伝的処女作『山に登りて告げよ』(1953)を発表し、一躍注目を浴びた。次作『ジョバンニの部屋』(1956)では、黒人の世界から離れ、フランスを舞台に、アメリカ青年とイタリア青年の同性愛を通じて、純粋な愛情、深刻な罪意識、他者に対する責任の問題を追求した。この主題をさらに複雑な形で展開したのが第三作『もう一つの国』(1962)である。

 1968年に発表された長編『汽車はいつ出ましたか』は、心臓病の発作で倒れた黒人俳優が病床に横たわりながら、奴隷制に苦しんだ先祖、自分の両親や兄、黒人に対する白人の差別と偏見、劇団仲間との異常な性愛関係などを回想する夢幻的な作品。そのあと、寃罪(えんざい)で獄中にいる黒人青年と彼の子を宿した黒人娘とのロメオとジュリエット風の純愛物語『ビール街に口あらば』(1974)を書いたが、世評は概して芳しくなかった。第六作目の長編『私の頭のすぐ上に』(1979)は、39歳の若さで急死したゴスペル・シンガーの弟を悼んで、そのマネージャーを務めた7歳年上の兄が、弟との関係を軸に、2人を取り巻く人たちや事件を、朝鮮戦争公民権運動などの歴史的背景を織り込みながら回想してゆく約30年間にわたる物語である。これまでしばしば繰り返されたテーマ、宗教、人種問題、同性愛などをすべて取り込み、この作家としては野心的な600ページに近い大作であるが、構成、内容が短編『ソニーのブルース』(1957)と『汽車はいつ出ましたか』とをつき混ぜたような作品であって、新鮮味に乏しい。

 ともあれ、ボールドウィンが小説のなかで、黒人の特殊な体験を、現代人が直面している危機的運命と重ね合わせることによって、黒人文学に普遍的な意味を与えたことは特筆に値する。こうした所論を含め、黒人のアイデンティティや白人のメンタリティを追求したのが『アメリカの息子のノート』(1955)、『誰(だれ)も私の名を知らない』(1961)、『次は火だ』(1963)など一連の評論集である。彼の関心が純粋な個人的主題から出発し、しだいに社会的主題へと展開してゆく傾向は、評論にも小説にも共通している。『巷(ちまた)に名もなく』(1972)は、1960年代の公民権運動や黒人運動の指導者たちとのかかわりを記録した内省的な手記。このほかに、戯曲『白人へのブルース』(1964)、短編集『出会いの前夜』(1965)、映画論『悪魔が映画をつくった』(1976)などがある。

[関口 功]

『山田宏一訳『悪魔が映画をつくった』(1977・時事通信社)』『佐藤秀樹訳『アメリカの息子のノート』(1969・せりか書房)』『橋本福夫訳『巷に名もなく』(1975・平凡社)』『黒川欣央訳『次は火だ』(1968・弘文堂)』『武藤脩二・北山克彦訳『出会いの前夜』(1967・太陽社)』『ファーン・マージャ・エックマン著、関口功訳『ジェームズ・ボールドウィンの怒りの遍歴』(1970・冨山房)』『エドワード・マーゴリーズ著、大井浩二訳『アメリカの息子たち』(1971・研究社叢書)』『ハワード・ハーパー著、渥美昭夫・井上謙治訳『絶望からの文学』(1969・荒地出版社)』


ボールドウィン(Stanley Baldwin, 1st Earl Baldwin of Bewdley)
ぼーるどうぃん
Stanley Baldwin, 1st Earl Baldwin of Bewdley
(1867―1947)

イギリスの政治家。鉄鋼業者の子として生まれ、ケンブリッジ大学を卒業後、家業に従事した。1908年保守党下院議員となり、1921年ロイド・ジョージ内閣の商務相に就任した。1922年カールトン・クラブでの演説が直接のきっかけとなって、保守、自由両党の連立が崩れ、保守党内閣が成立すると財務相を務め、1923年5月ボナ・ローの後を継いで首相となった。しかし同年11月の選挙で保護主義を掲げたために保守党の議席を減らし、最初の労働党内閣の誕生に道を開いた。1924年11月ふたたび首相の座につき、金本位制復帰を断行、1926年のゼネストでは危地に陥ったが、穏健派の労働組合指導者の切り崩しを図って成功した。1931年からのマクドナルド挙国一致内閣での枢密院議長を経て、1935年6月三たび首相となり、本格的な軍備強化に乗り出した。

[木畑洋一]


ボールドウィン(James Mark Baldwin、心理学者、社会学者)
ぼーるどうぃん
James Mark Baldwin
(1861―1934)

アメリカの心理学者、社会学者。サウス・カロライナ州のコロンビアに生まれる。プリンストン大学で哲学の博士号をとり、アメリカのいくつかの大学およびメキシコとフランスの大学で心理学を教えた。アメリカ心理学に対する貢献は、心理学の教科書を書いたこと、少年期の心理、社会心理学ほかいくつかの著書によって進化論および発達心理学の普及に努力したこと、3種の心理学雑誌を創刊したこと、さらにG・S・ホールとともにアメリカ心理学会の創設に尽力したことなどである。

[宇津木保]


ボールドウィン(Hanson Weightman Baldwin)
ぼーるどうぃん
Hanson Weightman Baldwin
(1903―1991)

アメリカの軍事ジャーナリスト、著述家。ボルティモアに生まれる。アメリカ海軍に所属したのち、1927年『ボルティモア・サン』紙の記者となる。1929年から『ニューヨーク・タイムズ』紙の軍事記者として働き、1942年には南太平洋戦域に関する連載記事によりピュリッツァー賞を受賞。その後、同紙の軍事関係記事の編集者、解説委員を務めた。第二次世界大戦や朝鮮・ベトナム戦争などを取材、世界各地の軍事基地を訪問した豊富な経験から、軍事・安全保障に関する多くの著作を出版した。おもなものに『力の代償』(1948)、『大軍拡競争』(1958)、『勝利と敗北』(1966)、『ひしがれた巨人・アメリカ』(1970)などがある。

[鈴木ケイ・伊藤高史]

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改訂新版 世界大百科事典 「ボールドウィン」の意味・わかりやすい解説

ボールドウィン
James Arthur Baldwin
生没年:1924-87

アメリカの代表的黒人作家の一人。R.ライトらのいわゆる〈抗議小説〉の型を脱して,世界文学のなかでのアメリカ黒人文学の地位をたかめたことで評価される。ニューヨークの黒人居住区ハーレムに生まれ,貧しい説教師の家庭で苦難の幼少年期を過ごした。1953年,自伝的長編小説《山にのぼりて告げよ》を発表。登場人物を黒人に限ったこの作品は,父と子の問題,生の不安,性に根ざす宗教的罪悪感,人種対立をはらんだ社会への疑念など,主人公である黒人少年の心理の深部を濃密に描いて注目された。第2作《ジョバンニの部屋》(1956)を経て,白黒両人種間の愛の複雑な様相と,人間性に対して破壊的な働きをするアメリカ社会の特異な性格を複雑にからませた大作《もう一つの国》(1962)によって彼の文名は世界的なものになった。60年代には公民権運動のスポークスマンとして全国的に講演活動を展開,評論《次は火だ》(1963)や戯曲《白人へのブルース》(1964)を発表してアメリカの病弊を鋭く批判した。ブラック・パワー系の解放闘争が勢いを得た60年代後半には,リロイ・ジョーンズ(バラカ)らに体制側として批判されたにもかかわらず,79年の《頭上すれすれ》にはブラック・パワー系運動に対する共感もうかがわれる。作品にはほかに評論《アメリカの息子のノート》(1955),《だれも私の名を知らない》(1961),《巷(ちまた)に名もなく》(1972),長編小説《汽車はいつ出たやら》(1965),短編集《出会いの前夜》(1965)など多数がある。
執筆者:


ボールドウィン
Robert Baldwin
生没年:1804-58

イギリス領北アメリカの政治家。アッパー・カナダに生まれ,弁護士を経て,1829年立法議会に当選。しかし30年に落選して一時政界から遠ざかる。その間の36年イギリスに赴き植民地省に責任政府樹立を要請したメモランダムを提出するが,これはイギリス領北アメリカ植民地の政治改革運動の中で高く評価される文書である。W.L.マッケンジーら急進派の起こした37年の蜂起ではイギリス側につき,穏健な議会工作による改革を指導。41年連合カナダ植民地立法議会に再選を果たしてからは,一連の責任政府樹立の動議を提出した。指導力を買われて42-43年,第1次ボールドウィン=ラ・フォンテーヌ内閣を組閣。48年の第2次内閣の成立は,連合カナダ植民地における責任政府の樹立を意味していた。一貫して穏健な改革主義者であった彼は,51年大法官庁裁判所廃止に抗議して議員を辞し,以後政界から退いた。
執筆者:


ボールドウィン
Hanson Weightman Baldwin
生没年:1903-91

アメリカの軍事評論家。ボルティモア市の生れ。1924年にアメリカ海軍兵学校を卒業,少尉に任官して戦艦,駆逐艦の乗組員を経験した。27年に海軍を退役,《ボルティモア・サン》紙記者となったが,29年に《ニューヨーク・タイムズ》紙に転じ,軍事記者の道を歩みはじめ,42年には軍事担当部長となった。同年,南太平洋情勢についての報道でピュリッツァー賞を受賞した。第2次大戦,朝鮮戦争,ベトナム戦争をカバーしたが,単なる報道記者ではなく,独自の戦略的観点からの戦争の分析が高い評価を受けた。第2次大戦の主要作戦を分析した《戦場の勝敗》など多くの著書がある。彼は,ベトナム戦争以降のアメリカの戦略を追究した《あすのための戦略》(1970)の中で,大陸国家であるソ連の拡張主義に対抗するため,アメリカは海洋に配備する戦略核戦力による抑止を重視するのと同時に,海,空軍力による海洋支配力を強化する必要があることを強調した。
執筆者:


ボールドウィン
Stanley Baldwin, 1st Earl Baldwin of Bewdley
生没年:1867-1947

イギリスの保守党政治家。大鉄鋼業者の家に生まれ,ケンブリッジ大学に学び,長く家業に就いた後,1908年下院に入る。ロイド・ジョージ連立内閣に大蔵財務次官(1917-21),商務院総裁(1921-22)を務めたが,22年保守党の離脱を主張して連立内閣を倒した。続くボナ・ロー保守党内閣では蔵相として戦債の処理に当たった。23年ボナ・ローの病気引退後首相となり,不況打開に保護関税政策を採ろうとして総選挙に敗れ,24年辞職。初の労働党内閣は短命に終わり,同年再び第2次内閣を組織。平和と秩序を重んじ,26年には空前のゼネスト収拾に成功したが,長びく不況への積極策を欠き,29年辞職。31年世界恐慌下のマクドナルド挙国内閣で枢密院議長,35年これを引き継ぎ首相となる。36年新王エドワード8世のシンプソン夫人との結婚に反対,エドワード8世を退位させ,37年A.N.チェンバレンに首相を譲り引退。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボールドウィン」の意味・わかりやすい解説

ボールドウィン
Baldwin, James Arthur

[生]1924.8.2. ニューヨーク
[没]1987.11.30. サンポールドバンス
アメリカの黒人作家。バプテスト派の説教師を父に9人兄弟の長子としてハーレムに生れ,14歳のとき説教師になったが,17歳で文学を志し,種々の仕事を経て 1948年パリに渡った。 57年公民権運動のさなかに帰国。自伝的な処女作『山に登りて告げよ』 Go Tell It on the Mountain (1953) ,同性愛を扱いながら他者に対する責任,罪の意識の問題を取上げた『ジョバンニの部屋』 Giovanni's Room (56) ,人種関係の緊張のなかでアメリカ人の生の意味を追求した代表作『もう一つの国』 Another Country (62) ,『汽車はいつ頃出たんだろう』 Tell Me How Long the Train's Been Gone (68) ,『もしビーレ・ストリートに口あらば』 If Beale Street Could Talk (74) などの小説を発表した。ほかに人種問題を扱った評論集『アメリカの息子のノート』 Notes of a Native Son (55) ,『誰も私の名は知らない』 Nobody Knows My Name (61) ,『次は火だ!』 The Fire Next Time (63) ,『巷に名もなく』 No Name in the Streets (71) ,『悪魔にも仕事がある』 The Devil Finds Work (76) ,戯曲『白人へのブルース』 Blues for Mr. Charlie (64) などがある。

ボールドウィン
Baldwin, Robert

[生]1804.5.12. アッパーカナダ,ヨーク
[没]1858.12.9. アッパーカナダ,ヨーク
カナダの政治家。 1825年弁護士として世に出,29年アッパーカナダ植民地下院に選出されて政界に入る。 36年改革運動の指導者としてイギリスにおもむき,植民地省にカナダにおける責任政府実現の要請を初めて提出した。しかし 37年の W.マッケンジーの反乱には加担せず,総督の F.ボンドヘッドから反乱者との交渉を依頼されたりした。 41年連合カナダ植民地議会に改革派の一員として選出され,同年9月には責任政府を求める一連の決議を議会へ提出。 42年9月総督 C.バゴットはボールドウィンに組閣を依頼し,ここに第1次ボールドウィン=ラフォンテーヌ内閣が成立したが,翌年 11月に倒れた。 48年の総選挙で改革派が勝利を占め総督エルギン (伯)は再びボールドウィンと L.ラフォンテーヌに組閣を依頼し,これがカナダにおける責任政府の実現となった。しかし穏健派のボールドウィンは自派の急進派と意見が合わず,51年辞任し,続いて総選挙にも敗北を喫して公生活から引退した。

ボールドウィン
Baldwin, James Mark

[生]1861.1.12. コロンビア
[没]1934.11.8. パリ
アメリカの哲学者,心理学者。プリンストン大学卒業後ライプチヒ,ベルリンの各大学に学び,帰国後プリンストン,ジョンズ・ホプキンズ大学などで心理学を教授。進化論に立ち発生的社会心理学を説いた。論理学においても,思惟を進化論の立場から説明した。彼の哲学は発生論と非発生論の二元的方法にあり,この対立する二元をつなぎ融合させるものが一種の美的経験であるとした。主著"Mental Development in the Child and the Race" (1895) ,"History of Psychology" (1913) ,"Genetic Theory of Reality" (15) 。

ボールドウィン
Baldwin, Stanley, 1st Earl Baldwin of Bewdley

[生]1867.8.3. ウスターシャー,ボードリー
[没]1947.12.14. アストリー
イギリスの政治家。ケンブリッジ大学を卒業後,実業界に入ったが,1908年父の跡を継いで保守党下院議員となった。 21年 D.ロイド・ジョージ連立内閣の商務相,22年 A.ボナー・ロー内閣の蔵相を経て,23年首相。 24年不況打開策に保護関税策を提唱して総選挙にのぞんだが敗れて辞任。しかし同年第2次内閣を組織し,29年まで在任,金本位制の保持や炭坑ストの処理にあたった。 31年 J.R.マクドナルドを首班とする挙国一致内閣の枢密院議長として,事実上の指導者となり,35年再び首相。 37年 N.チェンバレンに地位を譲り引退。

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百科事典マイペディア 「ボールドウィン」の意味・わかりやすい解説

ボールドウィン

米国のジャーナリスト,軍事評論家。アナポリス海軍兵学校卒。任官3年で退役。1929年《ニューヨーク・タイムズ》に入社。1937年以降,軍事問題専門の記者として活躍し,1942年南太平洋情勢の報道でピュリッツァー賞受賞。その後も朝鮮戦争ベトナム戦争で,戦略的観点からの戦争分析を発表,国際的に高い声価を得た。《戦場の勝敗》《あすのための戦略》《権力の代価》など。

ボールドウィン

米国のアフリカ系作家。ニューヨーク生れ。父を継いで説教師になるが,17歳で文学を志しハーレムを出て,ヨーロッパで自伝的長編《山にのぼりて告げよ》(1953年)を書く。小説《ジョバンニの部屋》(1956年)《もう一つの国》(1962年),評論集《次は火だ》(1963年),戯曲《白人へのブルース》(1964年)等,アフリカ系米国人としての自己を手がかりに現代世界の深部に迫る多彩な活動を続けた。作品は死後も若者の支持を受けている。

ボールドウィン

英国の政治家。英国有数の鉄鋼業者の家の出身で,長く実業界で活躍。1908年保守党下院議員。1923年―1937年の間に3度首相となり,第1次大戦後の内政処理や恐慌対策に活躍した。とりわけエドワード8世の結婚問題を処理して王室を守った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ボールドウィン」の解説

ボールドウィン Baldwin, Charles

1834-1896 アメリカの教育者。
明治4年(1871)京都府英学校の英語・洋算教師としてまねかれる。のち気象学などもおしえ,約20年間断続的に京都府立中学に勤務した。鹿児島造士館高等中学在職中の明治29年6月15日死去。62歳。マサチューセッツ州出身。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ボールドウィン」の解説

ボールドウィン
Stanley Baldwin, 1st Earl Baldwin of Bewdley

1867〜1947
イギリスの政治家
第一次世界大戦後,1923・24・35年と3度保守党内閣を組織。この間,男子と平等の女性参政権を実現(1928)した。

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世界大百科事典(旧版)内のボールドウィンの言及

【カナダ】より

…カナダ史では過激な変革は排され,漸進的な改革が目的を達成する。マッケンジー,パピノーの運動はより穏健なR.ボールドウィンL.H.ラ・フォンテーヌらに受け継がれたのであった。 しかし,蜂起の失敗は両植民地に大きな影響を与えることになった。…

※「ボールドウィン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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