ベトナム戦争(読み)ベトナムセンソウ

デジタル大辞泉 「ベトナム戦争」の意味・読み・例文・類語

ベトナム‐せんそう〔‐センサウ〕【ベトナム戦争】

ベトナムの統一をめぐる戦争。1960年に結成された南ベトナム解放民族戦線が、1961年、北ベトナムの支援のもとに南ベトナム政府に対して本格的な抗争を開始し、1969年には臨時革命政府を樹立。その間、1963年には米国が全面的に軍事介入したが、1973年の和平協定により撤退。1975年、サイゴンが陥落して南ベトナム政府は崩壊。1976年、南北ベトナムの統一が実現した。第二次インドシナ戦争。→インドシナ戦争

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精選版 日本国語大辞典 「ベトナム戦争」の意味・読み・例文・類語

ベトナム‐せんそう‥センサウ【ベトナム戦争】

  1. ベトナムの統一をめぐる戦争。一九六〇年に結成された南ベトナム解放民族戦線が、六一年北ベトナムの支援のもとに南ベトナム政府に対して本格的な抗争を開始し、六九年には臨時革命政府を樹立。その間、六三年にはアメリカが全面的に軍事介入したが、七三年の和平協定により撤退。七五年サイゴンが陥落して南ベトナム政府は崩壊。翌七六年南北ベトナムの統一が実現した。第二次インドシナ戦争。

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百科事典マイペディア 「ベトナム戦争」の意味・わかりやすい解説

ベトナム戦争【ベトナムせんそう】

第2次インドシナ戦争ともいわれる。1954年ジュネーブ協定締結後,南ベトナム(ベトナム共和国)に成立したゴ・ディン・ジェム政権は米国の援助下に反共・独裁政策を強行。これに反対する共産主義・民族主義勢力は各地でゲリラ活動を展開し,1960年南ベトナム解放民族戦線を結成。1963年―1964年クーデタが頻発(ひんぱつ)し,ゴ・ディン・ジェム政権は倒れた。このころまでは内戦的性格をもっていたが,1965年米国は北ベトナム(ベトナム民主共和国)による解放民族戦線への援助阻止を主張して北ベトナム爆撃と南ベトナムへの増兵を開始。米国は50万の地上軍を投入し,韓国・タイ等の派遣軍も加わり,北ベトナムも正規軍を南下させて解放民族戦線を援助し,国際紛争に発展した。1968年旧正月直後の攻撃(テト攻勢)以来,解放民族戦線が戦争主導権を握り,サイゴン地区やトンキン湾沿岸都市部を除く大半の地域がその勢力下に入った。一方,1968年以来パリで和平交渉が進められてきたが,1973年1月和平協定が成立し,3月米軍戦闘部隊が南ベトナムから撤退,戦争の終結が宣言された。この戦争による北ベトナム・解放戦線側の死傷者は推定227万人,米国・南ベトナム側は約98万人。→ベ平連
→関連項目アメリカ合衆国インドシナウッドストック・フェスティバルエンタープライズ開高健枯葉剤共和党局地戦争ギラングエン・バン・ティエウスポック中国共産党ドイモイドミノ理論ナパーム弾日本ベトナムボー・グエン・ザップボールドウィンボール爆弾マクナマラマッカーシーロン・ノル

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知恵蔵 「ベトナム戦争」の解説

ベトナム戦争

「革命と戦争の世紀」20世紀後半のハイライト。1973年、アジアの小国が圧倒的な軍事力を持つ米軍を「敗退」させ、75年に悲願の民族統一を実現。だが、旧資本主義の南部において急速な社会主義化を進めたため、多くの国民が海路で国外に脱出した(ボート・ピープル)。東アジアの冷戦は米中間の対立を軸に展開したが、米国は共産主義からの軍事的脅威の最前線としてベトナムをみた(ドミノ理論)。54年、ディエンビエンフーで敗れたフランスに代わり、米国がベトナムに介入した。59年から60年にかけて、南ベトナムで始まった米国及びゴ・ディン・ジェム政権に対する武装闘争は、60年12月の南ベトナム解放民族戦線の結成を機に、政府軍との本格的交戦に突入した。ケネディ米大統領(当時)は特殊部隊4000人の派遣を決定、その後も漸次増強させた。ケネディ暗殺後、米大統領に就任したジョンソンは64年8月、トンキン湾での米艦艇に対する北ベトナム軍の攻撃(トンキン湾事件)を利用して米議会の戦争拡大支持を取り付け、翌年2月7日、17度線北方のドンホイ爆撃をもって北ベトナム爆撃(北爆)に踏み切り、最大54万人の兵力を南部に投入。だが北爆も功を奏さなかったばかりか、68年1〜2月に南ベトナム全土での解放勢力による一斉攻勢(テト攻勢)で大打撃を被ってからは、米軍は都市防衛に釘付けにされた。守勢に立たされた米国は、世界的規模の反戦運動の圧力にも押され、68年10月に北爆全面停止を宣言、翌年から撤兵を開始。米軍の援助を失った南ベトナム軍はやがて瓦解、75年4月30日、ズオン・バン・ミン大統領は首都攻略を目指す解放勢力の軍事作戦(ホー・チ・ミン作戦)の前に無条件降伏した。南ベトナム解放民族戦線、北ベトナム側兵員の犠牲者は110万人に上る。

(片山裕 神戸大学教授 / 2007年)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ベトナム戦争」の解説

ベトナム戦争(ベトナムせんそう)
Vietnam War[英],Chien Tranh Chong My Cuu Nuoc[ベトナム]

ベトナムでは抗米救国戦争という。ベトナムの統一をめざす民族解放運動と,これを共産主義の勢力拡大として阻もうとしたアメリカとの間に発生した戦争。北ベトナム(ベトナム民主共和国),それが支援した南ベトナム解放民族戦線と,アメリカおよびそれが支援した南ベトナム(ベトナム共和国)が対立。1954年のジュネーヴ協定後,南のゴ・ディン・ジエム政権は,アメリカの支援を得て南北統一選挙の実施を拒否。これに反対する勢力が北の支援を得て60年に南ベトナム解放民族戦線を結成。アメリカは61年から軍事顧問団を大量に派遣するなどしたが,63年のジエム政権の崩壊で南の危機が拡大したため,直接の軍事介入を決意し,64年8月のトンキン湾事件をへて,65年2月からは北ベトナム爆撃(北爆)を恒常化し,同年3月には南に戦闘部隊を派兵。北ベトナムも南に正規軍を投入して対抗。北と南の解放戦線は大きな犠牲を強いられたが,68年のテト攻勢などで果敢にアメリカ軍に抵抗し,国際的な反戦運動の高揚などもあって,73年のベトナム和平協定でアメリカ軍撤退を実現。75年の北と解放戦線軍のサイゴン攻略で南のベトナム共和国が崩壊して戦争は終結した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ベトナム戦争」の解説

ベトナム戦争
ベトナムせんそう

1961~75年ホー・チ・ミン率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム共和国(南ベトナム)との間で戦われた内戦に,アメリカが冷戦を背景に介入した戦争。アメリカは,54年のジュネーブ会議で生まれた南ベトナムを支持し,61年ケネディ大統領も同国に多数の軍事顧問団を派遣。64年ジョンソン大統領が北爆・地上戦を開始,米軍の兵力は最高時で56万を数えた。68年1月の解放戦線によるテト攻勢で形勢は逆転し,73年1月,北ベトナム・南ベトナム臨時革命政府とアメリカのニクソン大統領との間でパリ和平協定が成立して米軍は撤退した。75年4月の北ベトナムによるサイゴン(現,ホーチミン市)陥落で戦争は終結した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ベトナム戦争」の意味・わかりやすい解説

ベトナム戦争 (ベトナムせんそう)

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世界大百科事典(旧版)内のベトナム戦争の言及

【アメリカ合衆国】より

…19世紀末,米西戦争を契機に世界列強となった合衆国は,第1次大戦,第2次大戦を経て超大国となり,政治,軍事,経済,文化の面で決定的な発言権をもち,〈全能のアメリカ〉が意識されるようになった。しかし,1960,70年代,内に人種紛争,外にベトナム戦争という挫折の体験を通し,さらに冷戦の終焉により,アメリカは世界の中の一国として,相対的に自己を位置づけるようになりつつある。【斎藤 眞】
【自然】
 広大な国土をもつアメリカ合衆国の自然は,きわめて多様性に富んでいる。…

【インドシナ戦争】より

…1960‐75。ベトナム戦争とも呼ぶ)民族革命戦争の総称。1978年1月以降のベトナム・カンボジア戦争,79年のカンボジア内戦と中越戦争を第3次インドシナ戦争とすることもある。…

【ジョンソン】より

…64年の大統領選で圧倒的な支持を得て当選すると教育,福祉,人種差別廃止,環境保全,都市開発など広範にわたる〈偉大な社会〉政策を提唱したが,これらは以後のアメリカ社会を方向づける基本的要素となった。外交面ではソ連やラテン・アメリカ諸国との関係改善に成果をあげたが,65年ころからはベトナム戦争が最大の問題となった。ジョンソンは戦争の早期終結をはかるべく北ベトナム爆撃,アメリカ陸軍の投入などを命じたが,戦争は逆に拡大長期化し,軍事予算の膨張,経済のインフレ化,反戦運動の激化を招く結果となった。…

【ベトナム】より

…しかし,仏教各派をはじめ,ホアハオ教カオダイ教の二大創基宗教など,反革命的性格を帯びた新宗教は,その組織,活動に多くの改造が加えられ,このため,その宗教活動は閉塞状態に追い込まれている。旧北ベトナムはフランスの植民地支配を脱却してのち,ベトナム戦争の破壊と混乱を経ながらも,短期間のうちにアジアでも有数の識字国に成長した。統一のなった今,ベトナムの教育は,旧北ベトナムの諸制度にならって改編,統一され,2段階12年制義務教育(初等学校9年,中学校3年)の普及・徹底,成人教育(思想教育)の重視など,社会主義国のための人づくりの努力が進められている。…

【ベトナム反戦運動】より

…ベトナム戦争(1960‐75年にわたる第2次インドシナ戦争)に対する反戦運動。それまでの反戦運動に比し,ベトナム反戦運動は,質的にも量的にも,はるかに際だったものであった。…

※「ベトナム戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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