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ポアトゥー Poitou

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ポアトゥー
Poitou

フランス西部,アキテーヌ盆地とパリ盆地とにはさまれた地方。旧州。ビエンヌ,ドゥーセーブル,バンデーの3県のほか,オードビエンヌ,シャラント,シャラントマリティム各県の一部を含む。中心都市ポアティエ。西部はアルモリカ山系のバデー地塊,海岸部にはポアトバン,ブルトンなどの湿地帯が広がる。北西部は生け垣などで耕地を囲うボカージュが展開する農牧地帯。アキテーヌ地方の北部にあって,南北文化の交流点であるとともに,紛争の絶え間のない騒乱の地でもあった。ブイエの戦い (クロービス対西ゴート王アラリック。 507) ,ツール=ポアティエの戦い (カルル・マルテル対イスラム教徒。 732) ,ポアティエの戦い (フランス対イングランド。 1356) ,モンコントゥールの戦い (新教徒対旧教徒。 1569) などフランス史上重要な多くの戦いがここで行われている。

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百科事典マイペディアの解説

ポアトゥー

フランス西部,ロアール川左岸の地方。旧州。全般に低平で西部では牧畜東部では小麦栽培が盛ん。ワイン,コニャック産地。工業は低調で,製紙,建設資材,皮・靴など。

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世界大百科事典 第2版の解説

ポアトゥー【Poitou】

フランス西部の旧州名。現在のビエンヌ県,ドゥー・セーブル県,バンデ県の3県にほぼ相当する。また,現在の行政区分では,バンデ県を除く2県と,シャラント県,シャラント・マリティム県を合わせて,ポアトゥー・シャラント地域région(主都ポアティエ)と呼んでいる。
[歴史]
 パリ盆地からロアール河谷(トゥーレーヌ地方)を経てアキテーヌ地方へ出る交通路にあたり,また東はマシフ・サントラル(中央山地)のリムーザン地方に接していて,古くから重要な地域であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ポアトゥー
ぽあとぅー
Poitou

フランス西部の歴史的地方名、旧州名。大西洋岸に位置する現在のバンデー地方からベリー地方まで広がり、パリ盆地とアキテーヌ盆地を結ぶ鉄道・道路交通の要地。東部は中心都市であるポアチエ周辺部でオー(高)・ポアトゥーとよばれ、西部はバー(低)・ポアトゥーと名づけられて一般に起伏に富んで標高が高い。現在、バー・ポアトゥーがほぼバンデ県の範囲に相当し、オー・ポアトゥーにはドゥー・セーブルとビエンヌ両県が含まれる。アルモリカン山地と中央高地に挟まれ、主としてジュラ紀層からなる平野・丘陵地である。海岸に沿う地帯の北部はブルターニュ地方の湿地帯が広がり、南部はポアトゥバン湿地が広がる。農牧業を主産業とする。石灰質土壌には穀物農業地帯が広がり、粘土質の荒地では牧畜業が行われている。
 ピクタウェス人の居住地であったが、紀元前56年ローマに降伏し、紀元後5世紀に西ゴート人が占領した。507年クロービスが征服し、フランク王国領となった。732年のトゥール・ポアチエの戦いでイスラム教徒の侵入を撃退してカロリング朝の領土となり、ポアチエ伯に統治された。7世紀末と9~10世紀はアキタニア公領、12世紀後半と百年戦争中はイギリス領。1369年シャルル5世により、フランス王国に併合された。[高橋伸夫]

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