マイケルソン干渉計(読み)まいけるそんかんしょうけい

デジタル大辞泉の解説

マイケルソン‐かんしょうけい〔‐カンセフケイ〕【マイケルソン干渉計】

1881年に米国の物理学者マイケルソンが考案した干渉計光源からの入射光に対し斜め45度に設置したハーフミラーで透過光と反射光に分け、それぞれの光を反射させて戻ってきた二光線を光源と直角の位置に設置したスクリーンに投影する。スクリーンには光路長の変化に伴う干渉縞が観測され、それを測定する。のちに特殊相対性理論導出につながる、マイケルソンモーリーの実験に用いられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マイケルソン干渉計
まいけるそんかんしょうけい
Michelson interferometer

アメリカの物理学者マイケルソンによって考案された二光束干渉計。光速度の測定に用いられたことで有名である。
 にマイケルソン干渉計の原理を示す。主要部は、均質なガラスでつくられた2枚の平行平面板P1、P2と、平面反射鏡M1、M2である。P1とP2は平行で、かつ入射光に対して斜め45度傾けて置かれている。P1の裏面は、反射率が50%近くになるように半透明になっている。反射鏡のうち、M2は固定されているが、M1は微動ねじによって前後に移動調節することができる。上方から入射した光は、P1の表面で反射またはそれを透過し、それぞれM1、M2によって反射されP1に戻る。ここでM1からの光はP1で反射されてスクリーンTに向かいM2からの光はP1を透過して同じくTに向かう。平行平面ガラス板P2は、M1に向かった光がP1内で生ずる光路の長さを正確に補償するために挿入されたものである。P1の半透明反射鏡によって、M1の像がM2の近くに、あるいはM2の像がM1の近くにできた場合を考えると、両者が完全に平行ならば等傾角干渉縞(じま)(同心円干渉縞)、少し傾いていると等厚干渉縞(平行線干渉縞)が観測される。M1を前後に移動すると、前者では円形干渉縞が中心から湧出(ゆうしゅつ)、または中心に向かって消滅し、後者では縞が移動する。鏡の移動量が2分の1波長のとき干渉縞1本分が移動するので、鏡の位置の変化、または一方の光路長の変化を波長の数十分の1の精度で検出することができる。マイケルソン干渉計の変形の一つとして、トワイマン‐グリーン干渉計があり、光学素子の検査に用いられている。[尾中龍猛・伊藤雅英]
『D・マラカラ著、成相恭二・清原順子・辻内順平訳『光学実験・測定法』(2010・アドコム・メディア)』

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世界大百科事典内のマイケルソン干渉計の言及

【干渉】より

…その一例として,A.A.マイケルソンの干渉実験がある。これは,光源から出た光を,45度に傾いている半透明鏡を用いて,半分を反射,半分を通り抜けるようにし,反射した光と透過した光をそれぞれ鏡で反射させて元の道をもどしてスクリーン上に重ねるもので,二つの光が通る距離の差が半波長の偶数倍のとき明るく,奇数倍のとき暗い干渉縞が生ずる(この方法による干渉計はマイケルソン干渉計と呼ばれている)。身近な干渉色の例としては,水面上の油膜やシャボン玉などの薄膜が色づいて見える現象があり,また干渉縞の観察にはニュートンリングもよく用いられる。…

【干渉計】より

…ここでは振幅分割型の代表的なものをいくつか取り上げておく。
[マイケルソン干渉計とトワイマン=グリーン干渉計]
 振幅分割型2光束干渉計の代表ともいえるもので,最初マイケルソン=モーリーの実験に使われ,その後光応用計測に広く使われるようになった。マイケルソン干渉計は,図1-aに示すように広がった光源(小さな光源と拡散板の組合せでもよい)を用い,光軸に対して45度の傾きをもつ半透鏡(ビームスプリッター)によって2光束に振幅分割した後,平面鏡M1M2によって元方向に折り返し,再度同じ半透鏡(ビームコンバイナーとして働く)で会合させて光源と直角の方向から望遠光学系で観測する。…

【干渉分光法】より

…遠赤外やサブミリ波領域では金属メッシュなどでエタロンを構成させることができる。
[2光束干渉型]
 例えばマイケルソン干渉計のような2光束干渉計に単色光を入射させたときに得られる干渉パターンは,2光束間の光の位相差δに対しcos2(δ/2)で表される正弦波状となる。δは光束間の光路差⊿と波長λを用いて2π⊿/λで示されるから,上記正弦波の周波数は光の波長が長いほど低くなる。…

※「マイケルソン干渉計」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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