オーストリアの物理学者。モラビア地方(現、チェコ領)出身。科学史や科学論の分野での業績でも知られている。見識ある父と芸術志向の母のもとで教育され、古典語、歴史、数学、音楽、詩をはじめ工芸や農事にも親しんだ。中級学校では博物や地理に関心を寄せ、ラマルクの進化論に接した。ウィーン大学に進んでからは数学、物理、哲学を専攻し、放電と電磁誘導を考察した論文で学位を得た。続いて同大学の私講師となり、実験室ではドップラー効果の問題と取り組み、講義や教科書では分子説の適用に心を傾けた。しかし、しだいに心理や生理の研究に転向し、分子・原子の概念を否定する立場に移っていく。
1864年グラーツ大学教授、1867年プラハ大学教授と歴任し、視覚、光の干渉や回折、流体(とくに、高速の気流や飛行体運動に関するもの)などの実験研究に業績をあげた。気体中の音の伝播(でんぱ)速度に対する飛行体の速度の比の値は、この時期の彼の貢献にちなんで、マッハ数とよばれる。一方、心理については、音感、時間感覚、運動感覚などの広範な研究を進めた。
プラハ大学では、2年にわたる学長就任期を含め、次々と著書を発表した。そのなかに、有名な『歴史的・批判的に見た力学の展開』(初版1883年、以下9版。邦訳名『マッハ力学』)、『感覚の分析――物理的なものと心理的なものとの相関』(初版1886年、以下7版)が含まれる。1895年、母校ウィーン大学に戻って帰納科学の歴史と理論を講じたが、卒中にかかり1901年に教職を辞し、しばし政治に関与したのち、ミュンヘン郊外に引退、同地で没した。この間の主著として、『熱学の諸原理』(初版1896年、以下4版)、『認識と誤謬(ごびゅう)――研究心理試論』(初版1905年、以下5版。邦訳名『時間と空間』)があり、また遺著として『物理光学の諸原理』(1921)がある。
科学史、科学論の面でのマッハの論究は、科学の構造、発展過程および基礎概念(時空、質量、熱量、エネルギーなど)の分析に資するところがあり、科学のなかに形而上(けいじじょう)学要素や絶対性、因果性などの概念を安易に導入することの弊を鋭く指摘し、われわれに与えられる感性的諸要素の間の相互関係を、最小の労力で、かつできるだけ簡単な形で記述するのが科学の使命であるとの説(思考経済の説)を主張した。
[高田誠二]
『伏見譲訳『マッハ力学』(1969・講談社)』▽『廣松渉他訳『感覚の分析』(1971・法政大学出版局)』▽『野家啓一訳『時間と空間』(1977・法政大学出版局)』▽『高田誠二訳『マッハ・熱学の諸原理』(1978・東海大学出版会)』
オーストリアの物理学者,哲学者。モラビアに生まれ,ウィーン大学に学んだ。グラーツ大学で数学,プラハ大学で物理学を講じた後,1895年〈帰納的科学の歴史と理論〉担当の教授としてウィーン大学に招聘された。1902年オーストリア貴族院議員に選出されたのを機に教職を退いたが,その旺盛な研究活動は病を得た晩年まで衰えを知らなかった。彼の研究関心は一種のルネサンス人と形容しうるほど多岐にわたっており,物理学,哲学,科学史,心理学,生理学,音楽論の各分野で第一級の業績を残している。物理学では超音速の先駆的研究によって速度単位マッハ数にその名をとどめ,また〈マッハの原理〉は一般相対性理論への道を開くものであった。心理学における〈マッハの帯〉や〈マッハ効果〉の発見,生理学における〈マッハ=ブロイアー説〉など彼の名を冠する業績は数多い。主著の《力学の発達》(1883)は《熱学の諸原理》(1896),《物理光学の諸原理》(1921)とともに科学史三部作と称され,科学史叙述の古典として高い評価を得ている。とくに《力学の発達》はニュートン力学の基本概念(時間,空間,質量)に潜む形而上学的性格を剔抉(てつけつ)して若年のアインシュタインに影響を与え,特殊相対性理論を準備したことで知られる。哲学上の主著は《感覚の分析》(1886)および《認識と誤謬》(1905)であり,その基本思想はアベナリウスらとともに経験批判論の名で呼ばれる。彼は旧来の形而上学的カテゴリー(実体,因果など)および物心二元論の仮定を排し,世界を究極的に形づくるのは物理的でも心理的でもない中性的な感性的諸要素(色,音,熱,圧等々)であるとし,これら諸要素間の関数的相互依属関係を思考経済の原則に従ってできるだけ簡潔かつ完全に記述することが科学の任務であるとした。こうした要素一元論の世界観を背景にマッハは現象主義的物理学を唱えて原子論を否定し,実在論の立場から原子論を擁護したプランクおよびボルツマンとの間に激しい論争を展開したことは有名である。また,感性的諸要素の全体的連関やメロディの移調性に注目したことによって,マッハはゲシュタルト心理学の先駆者とも目される。原子論や相対性理論を承認できなかったところにマッハの限界を見ることもできるが,彼の思想の意義は何よりも力学的自然観と古典物理学的世界像の批判を通じて,現代自然科学の方法論的基礎を形づくった点に見るべきであろう。
彼の死後1928年にはシュリックを議長に〈マッハ協会〉が結成され,これが後の〈ウィーン学団〉の母胎となった。そのためマッハはウィーン学団の盟祖と目されるが,事実彼の哲学はウィトゲンシュタインと並んで,論理実証主義および統一科学運動に多大な影響を及ぼした。また当時,ロシア社会民主労働党内部にボグダーノフA.A.Bogdanovを中心とするマッハ哲学の信奉者が増え,正統派マルクス主義に対抗する勢力となったため,レーニンは《唯物論と経験批判論》(1905)を著してこれらの観念論的傾向を〈マッハ主義〉の名の下に厳しく論難した。
執筆者:野家 啓一
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1838~1916
オーストリアの物理学者,哲学者。ニュートン力学の根本概念を批判して相対論の先駆をなした。科学的思惟の原則として思惟経済説を唱え,実証主義的経験批判論を立て,論理実証主義に影響を与えた。
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… 1955年アメリカのノースアメリカンF100が実用機として初めて水平飛行で音速を突破し,超音速戦闘機の時代に入った。音速を超えるのは容易でなかったが,いったん超えると1950年代後半には,マッハ2クラスの戦闘機が続々と実用化された(マッハとは音速の倍数で示す速度の単位。外気温0℃の場合,マッハ1は1193km/hに相当する)。…
…1877年ウィンデルバントの後任としてチューリヒ大学教授に招聘され,没年までそこで教鞭をとった。経験批判論の創始者として〈純粋経験〉に基礎を置く徹底した実証主義を唱え,マッハとともに後の論理実証主義の展開に大きな影響を与えた。主著は《純粋経験批判》全2巻(1888‐90)および《人間的世界概念》(1891)であるが,独特の用語と難解な記号法をもって書かれているため,マッハの思想に比べて人口に膾炙(かいしや)しなかった。…
…また感覚の要素的性格は,〈単純観念〉がいっさいの知識の材料であるとする考えの中に表現されている。ロックの思想はバークリーおよびD.ヒュームによって受け継がれ,さらに19世紀の後半マッハを中心とする〈感覚主義〉の主張中にその後継者を見いだす。マッハは伝統的な物心二元論を排し,物理的でも心理的でもない中性的な〈感覚要素〉が世界を構成する究極の単位であると考えた。…
…純粋経験に基礎を置く実証主義的認識論の一形態。アベナリウスおよびマッハによって創始され,ペツォルトJ.Petzoldt,ゴンペルツH.Gomperzらによって受け継がれた。影響はおもにドイツ語圏内にとどまったが,イギリスのK.ピアソンにも同様の思想が見られる。…
…カントの二元論を乗り越え,精神が己を外化しつつ発展してゆく過程――現象する精神――をそのまま記述し,そこに弁証法的図式を読みとろうとするヘーゲルの《精神現象学》における現象概念もそれである。一般に実証科学は現象のそうした合理的連関をとらえようとするものであるが,実証主義を徹底しようとするマッハなどは,近代物理学の基本概念の一つである因果概念でさえも物体間の力の授受という実証不可能な関係を想定する形而上学的概念だとして退け,あくまで現象相互間の関数関係の記述だけに終始しようとする〈現象学的物理学〉を提唱した。その立場は〈現象主義〉ともよばれる。…
…18世紀に,ギリシア語のphainomenonとlogosの2語を結びつけて造語されたドイツ語Phänomenologieの訳語。この語ははじめ物理学の領域で,運動論の一部門――われわれの外感に現れるかぎりでの物質の運動を扱う部門――を指すために使われ,その後も19世紀末のマッハにいたるまで〈記述的物理学〉という意味合いで用いられていた。マッハの提唱した〈現象学的物理学〉は,原子とか原因・結果といった形而上学的な概念を排除し,感覚的経験に与えられる運動の直接的記述から出発して,それらの記述を相互に比較しながらしだいに抽象度の高い概念を構成してゆくというしかたで,物理学理論を根本的に組みかえることを企てるものであった。…
…現象主義は現象の背後に意識から独立の超越的実在をいっさい認めない立場と,このような実在(例えば〈物自体〉)を認めはするがそれは不可知であるとする立場とに分かれる。前者の経験主義的方向にはヒュームやマッハが属し,後者の観念論的方向を代表するのはカントである。方法論の上からは,一方に物理的事物を〈現実的かつ可能な感覚的経験〉に分析する古典的形態,すなわち〈事実的還元〉の立場があり,J.S.ミルが物質を〈永続的感覚可能性〉と定義したのはその一例である。…
… 気体の一様な流れの中に物体が置かれた場合を考える。いま,物体のずっと上流の流れの速度をU,そこでの音速をaとすると,Uをaで割った値U/aをマッハ数といい,通常Mで表す。上述の圧縮性の影響の大小はこのマッハ数の大きさで決まり,Mが1に比べて小さければ圧縮性の影響は小さく,Mが1に近くなるにつれて大きくなる。…
…〈節減の法則〉とも呼ばれる。科学の目標は〈最小の思考の出費で事実をできるだけ完全に記述する〉(マッハ)ことにある,と定式化される。その源流は中世の〈オッカムの剃刀(かみそり)〉にさかのぼる。…
…ニュートンは慣性系(の全体)を,ある意味で絶対座標系であると考えていた。しかしE.マッハはこの考えに反対し,宇宙の恒星系全体に固定された座標系(およびこれからガリレイ変換によって移ることのできるすべての座標系)が慣性系であるとした。この背後にあるのは,慣性系は全宇宙の物質の分布のしかたによって自然に決まるものであるという考え方であり,いわば絶対性の排除,相対性の主張ということもできる。…
…だがワイマールの思想についていえば,それは第1次大戦と革命後に突如出現したのでなく,前世紀の1890年代から世紀末にかけての大衆化状況の中で醸成されていたといえるだろう。 文学と芸術における表現主義,ニーチェの〈神の死〉宣告,フロイトの精神分析,ユングの深層心理学,マッハの感覚要素論は,従来の学問観に強い衝動を与えずにはいなかった。実証主義と歴史主義,さらにそれらを母胎にした社会科学はその基底を問責された。…
※「マッハ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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