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屑鉄を用いる平炉製鋼法を発明したフランスの冶金技術者。ブールジェ生れ。鉱山学校卒業後,シルールにあった父エミールEmileの製鉄所で働いた。1864年にシーメンズ式の平炉(W. シーメンズとF. シーメンズの兄弟が1861年に発明)を用い,溶融銑鉄に屑鉄を加えることによって,銑鉄中の炭素分を下げ鋼を製造することに成功した。66年にはシーメンズ兄弟とマルタン父子との間で平炉稼行の契約が成立した。マルタンの製品鋼は67年パリ博覧会で金賞を得た。89年建設のエッフェル塔の構造材料もシーメンズ=マルタン鋼であった。のち没落し,1910年にパリの場末で見いだされ,平炉法発明50周年を期に年金を送られた。
執筆者:原 善四郎
スイスの作曲家。スイス,イタリア,フランスに学び,1926年に生地ジュネーブに居を定め,室内楽協会を設立。鍵盤奏者として活躍する。一方,É.ジャック・ダルクローズ研究所で即興演奏法とリズム理論を教えたり,私立音楽学校長を務めるなど教育者としても活躍した。30年代以降に十二音技法や新古典主義的語法による重要作を生み出している。代表作は《バイオリン協奏曲》(1951)などの協奏的管弦楽曲である。
執筆者:平野 昭
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…ベッセマーもはじめスウェーデン銑を使用したが,のちにイギリス,カンバーランドのヘマタイト(赤鉄鉱),スペインのビルバオ鉱石などから優秀なベッセマー銑を製造し,ベッセマー法の大規模な発展が始まる。 転炉法に続いて64年,フランスのP.マルタンが平炉法を工業化した。ジーメンス兄弟,次男のウィルヘルム(1823‐83)と三男のフリードリヒ(1826‐1904)の発明した蓄熱方式の反射炉による製鋼で,転炉法と並ぶもう一つの溶鋼法である。…
…一方,18世紀ころから鋳鉄の製造法として反射炉が用いられはじめ大砲などが鋳造されていたが,イギリスのコートHenry Cort(1740‐1800)は,反射炉をさらにくふうして銑鉄の溶融だけでなく,溶融した銑鉄をかくはん(攪拌)することによって半溶融状の可鍛鉄をつくることに成功した。この反射炉はとくにパドル炉と呼ばれるが,19世紀後半W.シーメンズ,P.E.マルタンの努力によって反射炉はさらに改良され,溶融状態の鋼を容易に製造できる平炉がつくられた。それより少し前の1856年,H.ベッセマーは転炉法を発明したが,これは溶けた銑鉄を炉の中に入れ炉の底から空気を吹き込むことにより,銑鉄中の炭素やケイ素を酸化させ,その際発生する熱を利用して溶けた鋼をつくるというものである。…
※「マルタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...