マンロー(英語表記)Munro, Alice

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マンロー」の意味・わかりやすい解説

マンロー
Munro, Alice

[生]1931.7.10. ウィンガム
カナダの作家。旧姓 Laidlaw。オンタリオ州の貧しい農場に生まれ,母は教師だった。ウェスタンオンタリオ大学で 2年間英語とジャーナリズムを学ぶ。1951年に最初の夫ジェームズ・マンローと結婚,ビクトリア書店を開き,3人の娘を育てた。その後離婚,のちに再婚。10代で小説を書き始めた。結婚後,家事や育児のかたわら小さな文学雑誌などに作品を発表し,1968年に初の短編集 "Dance of the Happy Shades"を出版,カナダで最も権威ある総督文学賞を受賞した。その後 "Who Do You Think You Are?"(1978)で 2度目の,"The Progress of Love"(1986)で 3度目の総督文学賞を受賞。"The Love of a Good Woman"(1998)はカナダの著名な文学賞であるジラー賞と全米批評家協会賞を受賞した。2001年に短編集『イラクサ』Hateship, Friendship, Courtship, Loveship, Marriageを出版,その中の 1編でアルツハイマー病を扱った「クマが山を越えてきた」The Bear Came over the Mountainは 2006年,サラ・ポーリー監督により『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』Away from Herとして映画化され,高い評価を得た。2004年 "Runaway"で 2度目のジラー賞受賞。そのほかの代表作に『林檎の木の下で』The View from Castle Rock(2006),『小説のように』Too Much Happiness(2009)などがある。2009年,女性として初めて国際ブッカー賞を受賞。最後の作品集と宣言した『ディア・ライフ』Dear Life(2012)には四つの半自伝的物語が含まれている。フラナリー・オコナーやキャサリン・アン・ポーターなど 20世紀アメリカ南部の女性作家から影響を受け,鋭い洞察と共感によって人間の機微をとらえ,精緻で色彩感豊かな文体で表現する。2013年,カナダ人初のノーベル文学賞を授与された。

マンロー
Munro, Sir Thomas

[生]1761
[没]1827
イギリスの軍人,政治家。初めイギリス東インド会社軍の軍人として,第2次マイソール戦争や第3次マラータ戦争などに従軍。 1792年インドセーレムで地税査定に携わり,ライーヤトワーリー制度を勧告,1812年以降マドラスで施行。 1820~24年マドラス知事を務めた。

マンロー
Munro, Thomas

[生]1897.2.15. ネブラスカ,オマハ
[没]1974.4.14. サラソタ
アメリカの美学者。クリーブランド美術館勤務,美学誌"Journal of Aesthetics and Art Criticism"の編集者実験美学の流れに立ち,芸術の諸相を,形態学心理学との両面から考察している。著書"Toward Science in Aesthetics" (1956) ほか多数。

マンロー

サキ」のページをご覧ください。

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改訂新版 世界大百科事典 「マンロー」の意味・わかりやすい解説

マンロー
Thomas Munro
生没年:1761-1827

イギリスの軍人,政治家。インドのマドラス管区総督。1780年,東インド会社のマドラス軍に入隊。92年から1800年までアレクサンダー・リードの下で南インドのバーラマハール地方(現在のカルナータカ州南部とタミル・ナードゥ州の境)の統治に参加。この間南インドの地方事情,とくに土地所有制度,農業形態,村落機構などをつぶさに調査し,この地に導入すべき徴税制度を試行した。1820年にマドラス管区総督に就任し,その後南インドの代表的な土地・徴税制度として有名になったライーヤトワーリー制度を施行した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マンロー」の解説

マンロー
Thomas Munro

1761~1827

イギリスの軍人,植民地行政官。1780年,マドラス東インド会社軍に加わり,1820年,マドラス知事(在任1820~27)に任じられた。マドラスの事情を知り尽くした有能な行政官として知られた。土地制度については,上層農民から直接土地税を徴集するライーヤトワーリー制の導入を推進した。地方行政については,税を徴集する収税官と治安維持を任務とする治安官を同一の人物が兼任する制度をつくりあげた。これはベンガルの制度とはまったく異なるものであり,マンロー・システムと呼ばれ,19世紀に入ってから植民地化された地域に拡大していった。

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百科事典マイペディア 「マンロー」の意味・わかりやすい解説

マンロー

英国の古楽演奏家,指揮者,音楽学者。古楽再興のパイオニアの一人。バーミンガム出身。18歳の時ペルーで1年間暮らし,民俗楽器や古楽研究のきっかけを得る。ケンブリッジ大学とバーミンガム大学に学び,1967年以降レスター大学ほかで教鞭(きょうべん)をとる一方,リコーダー奏者として活動。1967年に〈ロンドン古楽コンソート(アーリー・ミュージック・コンソート)〉を結成し,中世,ルネサンス,初期バロックの音楽に清新な演奏を繰り広げたが,33歳で自殺。著書に《中世・ルネサンスの楽器》(1976年)がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「マンロー」の解説

マンロー Munro, Neil Gordon

1863-1942 イギリスの医師,人類学者。
1863年6月16日生まれ。明治25年(1892)来日。翌年横浜ゼネラル-ホスピタル院長となる。38年日本に帰化。各地の遺跡を調査。昭和7年北海道平取(びらとり)村の二風谷(にぶたに)に移住し,住民の診療とアイヌ民族の研究をおこなった。昭和17年4月11日死去。80歳。スコットランド出身。エジンバラ大卒。著作に「Prehistoric Japan」。

マンロー Munroe, Henry Smith

1850-1933 アメリカの地質学者。
1850年3月25日生まれ。明治5年(1872)開拓使の招きで来日。ライマンの助手として北海道の地質を調査。8年東京開成学校(東大の前身)にうつる。9年帰国。のち母校コロンビア大の教授。1933年5月4日死去。83歳。ニューヨーク出身。

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367日誕生日大事典 「マンロー」の解説

マンロー

生年月日:1819年10月19日
イギリスの古典学者
1885年没

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