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マンロー マンローMunro, Sir Thomas

7件 の用語解説(マンローの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マンロー
マンロー
Munro, Sir Thomas

[生]1761
[没]1827
イギリスの軍人,政治家。初めイギリス東インド会社軍の軍人として,第2次マイソール戦争や第3次マラータ戦争などに従軍。 1792年インドセーレムで地税査定に携わり,ライーヤトワーリー制度を勧告,1812年以降マドラスで施行。

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マンロー
マンロー
Munro, Thomas

[生]1897.2.15. ネブラスカオマハ
[没]1974.4.14. サラソタ
アメリカの美学者。クリーブランド美術館勤務,美学誌"Journal of Aesthetics and Art Criticism"の編集者。実験美学の流れに立ち,芸術の諸相を,形態学と心理学との両面から考察している。

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マンロー
マンロー

サキ」のページをご覧ください。

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百科事典マイペディアの解説

マンロー

英国の古楽演奏家,指揮者,音楽学者。古楽再興のパイオニアの一人。バーミンガム出身。18歳の時ペルーで1年間暮らし,民俗楽器や古楽研究のきっかけを得る。ケンブリッジ大学とバーミンガム大学に学び,1967年以降レスター大学ほかで教鞭(きょうべん)をとる一方,リコーダー奏者として活動。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

マンロー Munroe, Henry Smith

1850-1933 アメリカの地質学者。
1850年3月25日生まれ。明治5年(1872)開拓使の招きで来日。ライマンの助手として北海道の地質を調査。8年東京開成学校(東大の前身)にうつる。9年帰国。のち母校コロンビア大の教授。1933年5月4日死去。83歳。ニューヨーク出身。

マンロー Munro, Neil Gordon

1863-1942 イギリスの医師,人類学者。
1863年6月16日生まれ。明治25年(1892)来日。翌年横浜ゼネラル-ホスピタル院長となる。38年日本に帰化。各地の遺跡を調査。昭和7年北海道平取(びらとり)村の二風谷(にぶたに)に移住し,住民の診療とアイヌ民族の研究をおこなった。昭和17年4月11日死去。80歳。スコットランド出身。エジンバラ大卒。著作に「Prehistoric Japan」。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

マンロー【Thomas Munro】

1761‐1827
イギリスの軍人,政治家。インドのマドラス管区総督。1780年,東インド会社のマドラス軍に入隊。92年から1800年までアレクサンダーリードの下で南インドのバーラマハール地方(現在のカルナータカ州南部とタミルナードゥ州の境)の統治に参加。この間南インドの地方事情,とくに土地所有制度,農業形態,村落機構などをつぶさに調査し,この地に導入すべき徴税制度を試行した。1820年にマドラス管区総督に就任し,その後南インドの代表的な土地・徴税制度として有名になったライーヤトワーリー制度を施行した。

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