マーケットメカニズム(その他表記)market mechanism

改訂新版 世界大百科事典 「マーケットメカニズム」の意味・わかりやすい解説

マーケット・メカニズム
market mechanism

需要供給の働きによってすべての財やサービスの価格体系が決められ,その価格体系に応じて経済社会全体の生産,消費,分配が調整される機構を,マーケット・メカニズムまたは市場機構と呼ぶ。政府が意識的,計画的に物資の生産と流通を組織し,その配分権威による指令によって遂行するシステム(指令経済)とは異なり,マーケット・メカニズムでは,与えられた有限の資源を用いて,何を,どれだけ,いかに生産するかという経済問題が,価格を媒介とする各経済主体の選択によって解決されている。

 一般に市場経済では,個々の企業はみずからの予想と経済計算にもとづき生産を組織し,個々の家計も,みずからの自由な選択にもとづき生産活動に参加してその果実を消費している。その際,企業と家計の需要と供給に不一致が生じ,在庫がたまったり,期待どおりの数量が購入できないような事態がおこりうる。このような場合,需要が多すぎるときには価格が上昇し,逆に少なすぎれば価格が下落するというメカニズムによって需給の調整がなされる。この調整の働きが,全知全能の1人ないしは少数の人間の知識と判断力によってなされるのではなく,限られた情報しかもたないきわめて多数の取引主体(市場に参加する人々)の選択を総合した結果達成されるという点が,先に述べた指令経済のメカニズムとは基本的に異なる。このような調整が〈価格〉という一種信号を通して行われているため,マーケット・メカニズムは価格機構(プライス・メカニズム)とも呼ばれ,この両者はほぼ同義のことばとして用いられる場合が多い。

モノが多く生産されればその価格が下落し,人手不足になれば,労働の価格である賃金が上昇しはじめるという現象は,経済取引が市場という機構を通して行われるかぎり,時代と場所を超えて共通に観察されることがらである。それは経済活動の歴史的過程を市場の勃興とその浸透という観点から把握することを可能にするほどであった。事実,古代社会においても,市場の存在とその精妙なメカニズムに対する驚きを記述した文献は少なくない。たとえばエピクテトスの著作の中にも,牛馬等の家畜が市(いち)で売買される光景を見て,その複雑な売買の過程がまったくの偶然によっては,かくも秩序だって行われるとは信じがたい,という記述がある。そしてこの市場を,ひいてはこの世界を,だれがなにゆえ,何の目的のためにかくも巧みに治めているのか,という素朴な驚きが語られている。しかし,マーケット・メカニズムの基本的特性は,個々の経済主体(企業であれ家計であれ)が自己の利潤を最大化する生産量を選択したり,予算制約の枠内で最大の満足度をもたらす消費パターンを選択するという利己的な行動が,実は結果として最高水準の社会的効率性を達成しているという点に存する。

 このような特性が,明確な社会科学的表現を与えられるようになったのは,18世紀に入ってからであったといえる。それは各人の意図(利己心による利益の追求)と社会的帰結(社会的効率性の達成)のくい違いの発見であったということもできる。この発見に関して,まずその名前を挙げなければならないのは,オランダ出身のイギリス人マンデビルBernard de Mandeville(1670-1733)である。彼の政治的風刺詩《蜂の寓話》は,巣の中の個々の蜂は醜い私欲と私益の追求にあくせくしているが,巣全体は豊かに富み,力強い社会生活が営まれている姿を巧みにうたっている。この詩の副題にある〈私的悪徳が公共的便益につながる〉という主張は,後にA.スミスの自由主義的経済学や分業論に大きな影響を与えることになる。

 スミスは《国富論》の中でも,利己心によって示される〈私悪〉が,無意識のうちに社会公共の福祉に連なるという思想を明らかにしている。スミスの場合,神の〈見えざる手〉に導かれてこの公共の福祉は達成されるものであり,人間の意図的な理性にもとづく計画によって実現するものではない,としている点が重要である。これは,20世紀に入って20~30年代からL.E.vonミーゼスF.A.vonハイエクを中心に展開される市場理論と直接つながるものである。ハイエクは,無数ともいえる経済主体の頭の中に存在するすべての情報が,中央計画当局にとっては収集・入手することは不可能であること,マーケット・メカニズムではこれらの情報が各主体によってローカルに利用されつくすことによって,価格,雇用,生産,投資などの調整が漸次的に行われうることを指摘した。これらの論点は,近年多くの社会主義国家が合理的経済計画の問題を解くためには,意思決定の分権化が必要であることを痛感しはじめたという点からも,その現実妥当性が読みとれる。

以上述べたようなマーケット・メカニズムは,確かに現代社会においても資源配分の様式として重要な役割を果たしているが,そのパフォーマンス(とくに作動しうる範囲)に関していくつかの阻害要因をもっている。一つは,市場の構造的前提が,独占力の存在や価格の硬直性などによって破壊され,価格が信号としての機能を十分果たせなくなるような場合,もう一つは,市場の有効な作動を保証する前提が満たされない場合である。後者は,具体的には規模に関する収穫逓増,外部性,公共財,不確実性,将来財の存在などによって起こるものである。この点を理解するために,次の点を少し理論的に整理しておく必要がある。

 競争状態で発生する均衡は,消費者は効用を極大化し,企業は利潤を極大化し,市場での需給がバランスする,という三つの条件が同時に満たされている状態をさしている。これは,すべての経済主体にとって価格は直接管理できない与件であり,その与件である価格自体が市場の需給状態に応じて伸縮的に調整されるということが前提となっている。そして,消費者の限界代替率が逓減し,企業の生産技術に〈規模の経済〉が存在しないこと,すべての経済取引が市場を通してのみ行われ,必要とされる情報量が価格のみであり,それが財の数と一致すること,加うるに競争均衡が存在すること,それがパレート効率性を実現するために必要であるということが完全競争理論の教えるところである。マーケット・メカニズムが有効に作動するためには,このような強い条件が満たされなければならないのである。しかし先に挙げた諸要因,すなわち規模に関する収穫逓増,公共財などの存在は,現実の経済環境に照らして考えると,いかに重要な限界をマーケット・メカニズムがもっているのかを教えてくれる。収穫逓増については,大規模化した現代の生産技術では,電力,ガス・鉄道などの例を挙げるまでもなく,きわめて一般的な現象であるといえる。また公共財は,ある経済主体の消費が,他の主体の同時的消費を排除しないような財・サービス(国防,警察,公園など)を意味しているが,これらの財は私有制を前提とする個別取引によっては有効に供給されえない。なぜなら,公共財は代価を払わずに便益だけを享受する可能性をつねにもっているため,マーケット・メカニズムにその供給をゆだねると,その量は社会的に望ましい水準よりもつねに過少になってしまうからである。独占企業も利潤増大をめざして生産を制限し価格引上げを図るため,独占下の生産物の供給量も社会的に過少となることはいうまでもない。

 このように,マーケット・メカニズムは内在的欠陥をもち,独占や価格硬直性などによる機能障害を起こす可能性をもつため,資源配分様式としては相対的なものであり,一つの制度にすぎない。しかし,このような限界を有することは確かではあるが,人間の経済活動の自由という面を考えるとき,これにとって代わるよりよい制度を産業社会に生きるわれわれはいまだもっていないということになろう。
市場の失敗 →独占
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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