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メアリー・スチュアート Mary Stuart

翻訳|Mary Stuart

世界大百科事典 第2版の解説

メアリー・スチュアート【Mary Stuart】

1542‐87
スコットランド女王。在位1542‐67年。イングランド女王エリザベス1世の生涯のライバルであった。父王ジェームズ5世が死去したため生後1週間で即位。1548年,6歳でフランス皇太子と婚約してフランスに渡り,以後その宮廷で教育をうけ,美貌で魅力に富む女性に成長した。58年皇太子と結婚。翌年夫はフランソア2世として即位したが,1年後に病没したため,61年帰国した。当時のスコットランドでは,貴族の派閥間抗争が新教徒と旧教徒,さらには親イングランド派と親フランス派の確執と結びついて激烈をきわめていた。

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世界大百科事典内のメアリー・スチュアートの言及

【エリザベス[1世]】より

…また他国の新教徒を援助する一方,両カトリック大国フランスとスペインの対立を巧みに操った。当時最大の問題はスコットランド女王兼フランス王太子妃メアリー・スチュアートの執拗なイングランド王位の要求であったが,これを退けた。この間スコットランドでは宗教改革が進行し,60年夫に死別した女王メアリーが帰国したのを機に同国に内紛が起こり,メアリーはイングランドに逃亡,エリザベスはこれを幽閉した。…

【無敵艦隊】より

…しかし,エリザベス1世が即位(1558)すると,やがてカリブ海域におけるそれまでのスペインの独占体制がイギリス船の進出によって破られ,加えてエリザベスはフランドルの反スペイン闘争を積極的に支援した。このために両国関係は一転して悪化の一途をたどり,その過程でエリザベスはフェリペ2世がスコットランドでのカトリック再興の希望を託していたメアリー・スチュアートを処刑した。ここに至ってフェリペはついに実力行使に踏み切った。…

※「メアリー・スチュアート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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