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メクレンブルク

百科事典マイペディアの解説

メクレンブルク

ドイツ北東部,バルト海に沿う旧地方名。現在ドイツのロストクシュウェリーン,ノイ・ブランデンブルク3県を含む。湖沼が多く,海岸は漁業,内陸は農業,牧畜が行われる。

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デジタル大辞泉プラスの解説

メクレンブルク

《Mecklenburg》ドイツ海軍の戦艦。ヴィッテルスバッハ級。1901年進水、1903年就役の前弩級戦艦。1916年に退役、宿泊船として使用されたのち、1921年にスクラップとして売却。

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世界大百科事典 第2版の解説

メクレンブルク【Mecklenburg】

北東ドイツの一地方で歴史上の領邦(ラント)の名称。リューベック湾から東に延びるバルト海沿岸地方であり,砂丘の広がる海岸から内陸に向かうと松やブナの濃い森林の中に数多くの湖沼が点在する。土地は泥灰質の良質の土壌に富み,本来は農業地帯である。しかし,沿岸都市には造船業などの工業が存在し,また,バルト海航路によってスカンジナビア諸国への交通の要衝を占めている。美しい海岸線には著名な海水浴場や保養地がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

メクレンブルク
めくれんぶるく
Mecklenburg

バルト海に面するドイツ北東部の歴史的地域名。この地域には民族移動期以後スラブ人が定住し、彼らは土侯の支配下にあってドイツ人の進出を拒んでいた。12世紀ドイツのハインリヒ獅子(しし)公によるキリスト教の布教後もドイツとの関係は安定せず、一時デンマークの宗主下に入ったこともある。1348年土侯はメクレンブルク公として神聖ローマ帝国の諸侯に列するが、この公家はその後分裂を繰り返して君主権は弱体化する。19世紀まで残ったのはメクレンブルク・シュウェーリン公家と同シュトレーリッツ公家(ともに1815年に大公位を得る)の2家である。その間、この両メクレンブルクの貴族領主はグーツヘルシャフト(農場領主制)を発展させ、また共通の領邦議会に結集して強力な支配階級を形成した。貴族の特権を保障した1755年の永代協約は、メクレンブルクの基本法として1918年まで効力を有した。ワイマール共和国期にも分かれたまま2州をなした両メクレンブルクは、1933年末に1州に統合され、第二次世界大戦後、ポメラニア州西半をあわせて旧東ドイツの一州となった。しかし52年には州が解体され、シュウェーリン、ロストック、ノイブランデンブルクの3県になり、90年にはメクレンブルク・フォアポンメルン州となる。地形は低地平原地帯に丘陵が入り組んで、河川と湖沼に富む。産業は農業を主とするが、ロストック、ウィスマールなどの沿海都市では造船業が発達している。[坂井榮八郎]

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