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メルバーン

百科事典マイペディアの解説

メルバーン

英国の政治家。ケンブリッジ大学とグラスゴー大学で学び,1806年下院議員に選出され,トーリー党左派に属して1827年アイルランド担当相,子爵を継承。選挙法改正を支持してホイッグ党に転向,1830年グレー内閣の内相となる(−1834年)。1834年と1835年−1841年の2度にわたってホイッグ党内閣を組閣したが,1841年の総選挙に敗れて辞任。1837年ビクトリア女王の即位時の首相であり,女王から父親のように慕われ,メルバーンも若い女王に大きな影響を及ぼした。なお,妻のレディ・キャロライン・ラムはロンドンの社交界の寵児であったバイロン卿との情事で汚名を残した。

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世界大百科事典 第2版の解説

メルバーン【William Lamb,2nd Viscount Melbourne】

1779‐1848
イギリスの政治家。1806年に下院議員となり,G.カニングの強い影響をうけてトーリー党内の左派に属した。1827年カニングの死後,選挙法改正を支持してホイッグとなり,グレー内閣(1830‐34)の内相を経て,34年と35‐41年の2回にわたり,ホイッグ党内閣を組織した。首相在任中,37年に18歳で即位したビクトリア女王の政治教育を担当し,彼女に大きな影響を与えた。【村岡 健次】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

メルバーン
めるばーん
William Lamb, 2nd Viscount Melbourne
(1779―1848)

イギリスの政治家。第2代メルバーン子爵、本名はウィリアム・ラム。1806年に下院議員となりホイッグ党(イギリス)に属す。1827年カニング政権のアイルランド担当相となったが、翌1828年ウェリントンがトーリー党内閣を組織したのちに辞任。同年、父の死によって第2代メルバーン子爵となった。1830年11月、ホイッグ党グレー内閣の内相に就任、内閣では保守派に属し、選挙法改正を要求する過激な民衆運動を抑えた。1834年には辞任したグレーの後継者に任じられ、同年末、国王ウィリアム4世と対立して更迭された。翌1835年の総選挙で下院の多数を得ると再度内閣を組織し、都市自治体法などを成立させた。1837年にビクトリア女王が即位して以後は、1841年の首相辞任まで女王の政治的助言者として重要な役割を担った。[青木 康]

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