イタリアの医師、教育家。当初は知的障害児教育の研究・実践に携わっていたが、その後ローマのスラム街に開設された「子供の家」Casa dei bambiniにおいて、その研究成果を普通児に適用して教育活動を行った。その教育方法は「モンテッソリ法」と一般によばれ、とくに感覚教育のための教具を考案したことで知られる。彼女の教育研究は医師としての経験に基づき、生理学、精神病理学、実験心理学を援用して行われた。これが、研究の方法・内容に、従来にない強い実証的な性格をもたせた。とくにブントに倣って、何ものにも妨げられず自発的に活動する、いわば純粋状態の子供を子細に観察することにより、「科学的」な教育学を確立しようとした点は重要である。そうした観察によって「敏感期」「吸収精神」などを発見し、自由に活動できる干渉のない環境に置かれさえすれば、子供の内に備わっている生命が自ら発展してくるものだと主張した。
一方、子供は自由な活動を経験することによってこそ自律性、自発性を学ぶことができるのであり、強制することはこの学習の機会を奪うものだともした。これは、単に外的環境だけを整えて、学習の内容、方向づけには立ち入らない消極的教育論ではなく、キルパトリックのいう付随学習の重要性を認め、積極的にそれを進めようとしたものであろう。しかし、彼女の教育理論はこの点の解明が不徹底で、消極的教育論との未分化、混乱がみられる。
[池田久美子]
『モンテッソーリ著、阿部真美子・白川蓉子訳『モンテッソーリ・メソッド』(『世界教育学選集77』所収・1974・明治図書出版)』
イタリアの女流教育家,国際的新教育運動の指導者。ローマ郊外に生まれる。ローマ大学で医学と人類学を学んだ後,大学付属精神病院で障害児の研究と治療にたずさわる。1898年新設された国立異常児学校で臨床的研究をつづけるうちに医学と教育の協力の必要性を痛感し,1900年に再びローマ大学に入学,教育学と心理学とを研究した。05年にはローマのスラム街に保育施設〈子どもの家Casa dei bambini〉を創設し,幼児教育の実践と研究にうちこんだ。その成果は〈モンテッソリ法〉として結実し,世界各国にも広まり,新教育運動に大きな影響を与えた。彼女は子どもの発達の源泉は子ども自身の内部にあるものと考え,子どもの自発性や自己活動を基本とする適切な環境(教師が指示しなくてもすむようにくふうされた教具を配置)のもとでの感覚の訓練を重視した。22年にはイタリア政府の視学官になり,教員養成にも力を尽くした。日本でも大正期に河野清丸らによって紹介されたが,当時の機械論的学習観や知能固定観のもとでは十分に受け入れられず,ピアジェの発達理論の影響であらためて評価されるのは1950年代の半ばからであり,今なお幼児教育や障害児教育の分野で生かされている。
執筆者:中野 光
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…積木はフレーベル以前にもおもちゃとしてあったと考えられるが,彼が1830年代に20種類の恩物を考案制作し,そのなかの第3恩物から第6恩物までに積木を取り入れている。恩物としての積木は着色せず,生地のままのもので,そのなかでもフレーベルの積木,イタリアの女流教育家であったモンテッソリ考案のもの,またイギリスのヒルの積木などが有名である。フレーベルおよびモンテッソリの積木は小型で,ヒルの積木は大型で幼児には持運びに力を要するものである。…
※「モンテッソリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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