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ヤンゴン ヤンゴンYangôn

翻訳|Yangôn

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヤンゴン
ヤンゴン
Yangôn

ミャンマー最大の都市。旧称ラングーン Rangoon。イラワジ川デルタ東端のヤンゴン川左岸に位置する。 1948年のビルマ独立から 2006年まで首都。ヤンゴンは「戦いの終わり」という意味で,1755年にコンバウン朝アラウンパヤーが,この地を占領し,商業,港湾都市として築いたときに与えた名称。

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デジタル大辞泉の解説

ヤンゴン(Yangon)

ミャンマー連邦の旧首都。イラワジ川の分流ヤンゴン川に臨み、18世紀から貿易港として発展。米・チーク材を輸出する。金色のシュエダゴンパゴダスーレーパゴダなど多くの仏塔がある。1989年にラングーンを改称。2005年ネーピードーに遷都。人口387万(2003)。

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百科事典マイペディアの解説

ヤンゴン

ミャンマーの旧首都。1989年の国名変更にともない旧称ラングーンRangoonを改称。同国南部,イラワジ川支流ヤンゴン川(フライン川)に臨み,マルタバン湾から34kmにある貿易港。
→関連項目ラングーン

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世界大百科事典 第2版の解説

ヤンゴン【Yangon】

ミャンマーの首都。北緯16゜36′,東経96゜10′に位置し,北西から流れてくるフライン川(ラングーン川)と北東から流れてくるペグー川との合流点,河口からは34kmさかのぼった地点にある。人口385万(1995)。1989年6月に国名がミャンマーと変更された際,ラングーンRangoonもヤンゴンと改称された。市街地北部のティンゴウタヤ丘の上に高さ約100mのシュウェダゴンパゴダがあり,古くから聖地ダゴンDagonとして知られていた。

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大辞林 第三版の解説

ヤンゴン【Yangon】

ミャンマー連邦の首都。エーヤワディ川の分流、インド洋に注ぐヤンゴン川下流の東岸にある河港都市。米の輸出が盛ん。1989年ラングーンから改称。但し、2006年より首都機能はネイピードー(ピンマナ)に移転。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヤンゴン
やんごん
Yangon

ミャンマー(ビルマ)連邦第一の都市。2006年10月までは同国の首都。正式呼称はヤンゴンであるが、英語風になまったラングーンで知られる。人口434万4100(2003推計)。ペグー山脈から流れるフライン川とペグー川の合流点に位置する。合流点以下はヤンゴン川とよばれ、約30キロメートル下るとマルタバン湾に達する。熱帯モンスーン気候に属し、年平均気温は27.2℃。12月から2月までは比較的しのぎやすいが、4月と5月はきわめて暑い。年降水量は2574.2ミリメートルで、その80%は6月から9月までに降る。ミャンマーの政治の中心地であるとともに経済の中心地で、ヤンゴン港は同国の貿易の80%を取り扱う。ただし、各省庁など行政機能は新首都のネピドーにある。工業は以前から精米、製材工場が多数あったが、独立後は産業国有化政策により鉄鋼、薬品、ジュート紡績、造船などの国営工場が新設され発展が著しい。また、ヤンゴン大学、ヤンゴン工科大学など各種教育機関もここに集中する。交通面でも同国の中枢をなし、ヤンゴン港は運河によりイラワディ水系やシッタン水系と結ばれる。鉄道はマンダレープローム、マルタバンの各市への起点で、北部のミンガラドン空港はこの国の空の玄関である。市内にはロイヤル湖やインヤ湖などの水道用人工湖があり、緑に包まれた市街地や公園が多い。また都心部の広場にある優美なスーレー・パゴダ、ヤンゴン丘陵にある金箔(きんぱく)を施した巨大なシュエダゴン・パゴダなど、仏教国の主都にふさわしく多くの仏塔がある。[酒井敏明]

歴史

18世紀までは、シュエダゴン・パゴダ(伝承によれば紀元前6世紀ころの建立の仏塔)を擁する一寒村にすぎず、聖地ダゴンとして知られるのみであった。王朝時代の都は、もっぱら上ビルマに置かれ、下ビルマの中心はペグー(現、バゴー)にあった。また、海港として栄えたのも対岸のダラ、シリアムや、ペグー、マルタバンなどの港であった。ダゴンが重要性をもつのは、18世紀にアラウンパヤー王が全ビルマを統一して以降のことである。1755年、モン人と戦ってダゴンの町を占領したアラウンパヤー王は、この地に城砦(じょうさい)を築き対モン人戦争の軍事基地とし、敵の根絶を願ってこの地をラングーン(「戦いの終わり」の意。現代ビルマ語でヤンゴンYangon)と命名した。モン人制圧後、この町は下ビルマ統治の中心として機能し、また、王国最大の貿易港として発展していった。しかし、ヤンゴンが一大発展を遂げるのは、1852年の第二次ビルマ戦争後のイギリスによる一方的な下ビルマ併合以降のことである。
 ヤンゴンはイギリス領ビルマの中心として再建拡張され、ほぼ現在のヤンゴンの原型が築かれた。20世紀に入るとその重要性は高まり、1870年代には約10万であった人口も、1901年には25万、1931年には40万と急増していった。この人口増加にはインド人労働者の移民が大きな部分を占めていた。ビルマ人は人口の30%弱を占めるのみで、インド人、華僑(かきょう)が経済活動を握るなど、典型的な植民地都市の様相を示していた。第二次世界大戦中の日本軍による占領、イギリス軍の再占領によって、都市の大部分が破壊されたが、1948年にビルマが独立すると、独立国家の首都として面目を一新した。1988年のクーデターにより政権を掌握したミャンマーの軍事政権は、2005年11月以降同国中部の都市ネピドーへの首都機能移転を進め、2006年10月にはヤンゴンにかえて、ネピドーをミャンマーの首都とした。[渡辺佳成]

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