フランスの小説家。本名Georges Charles Huysmans。生涯の大半を内務省属官に在職のまま文筆活動を続けた。処女作の散文詩集《ドラジェの小筥(こばこ)》(1874)はボードレール,ベルトランの影響があらわで,彼が真の進路を初めて見いだしたのは小説《マルト,一娼婦の手記》(1876)によってである。これがゾラに認められ,以後ゾラの弟子として自然主義を宣言する小説集《メダンの夕べ》(1880)にも寄稿するが,生来神経質で世紀末的審美眼の持主である彼の資質が,技法的にはあくまでも細密な自然主義的手法を駆使しながらも,やがて自然主義文学観からの脱出を志向させ,小説《さかしまÀ rebours》(1884)を書かせた。卑俗な日常世界に背を向け昼夜逆転の耽美的人工楽園に生きて破滅する主人公デ・ゼッサントは,当時のデカダン派青年の憧れを一身に体現し,またその愛読するボードレール,マラルメ,ベルレーヌの存在を世に周知させた。作者自身にはこの後には〈銃口か十字架の下か〉(バルベー・ドールビイの《さかしま》評)の選択しかなく,彼は後者へと向かい,小説《彼方》(1891)に悪魔崇拝の迷夢を描いた翌年,カトリックに回心した。以後《出発》(1895),《大聖堂》(1898),《献身者》(1903)の三部作でカトリシズムの精髄を聖歌,建築,典礼に託して克明に描破したが,他面聖地ルルドの群衆の醜い姿や聖女リドビーヌの悲惨な故事を描くなど,決して信仰の中に安住しきったとは思われない。なお,モロー,ルドンを賛美するなど具眼の美術批評家でもあった。
執筆者:松室 三郎
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フランスの作家、美術評論家。本名はGeorges Charles Huysmans。オランダ系の画家の子孫でパリ生まれ。細密画家の父とともにフランスに帰化。父系の血は美術への嗜好(しこう)、母の再婚は女性不信として作品に影を落とす。学業終了後、内務省に入り、以後ほぼ晩年に至るまで小官吏として勤務のかたわら文筆活動に従事した。処女作『薬味箱』(1874)は印象派風の絵画的散文詩だったが、おりからの自然主義文学の流行を受けて散文に転向、『マルト、一娼婦(しょうふ)の物語』Marthe, histoire d'une fille(1876)を自費出版。ゾラに認められて、『バタール姉妹』(1879)や『世帯』(1881)、『流れのままに』(1882)などや自然主義宣言の小説集『メダンの夕べ』に『背嚢(はいのう)を背に』(1880)を発表する。しかし自然主義の題材の狭隘(きょうあい)さと単調さに飽き足らず、『さかしま』(1884)で自らの世紀末的審美眼を駆使した人工美の世界に転進を企て、さらに『彼方(かなた)』(1891)では神秘的自然主義として中世からの悪魔礼拝や神秘学に材を求め、カトリック回心後は中世キリスト教の探究『出発』(1895)以下三部作を発表。他方、『近代美術』(1883)などで、印象派画家を賞揚する犀利(さいり)な美術評論活動を展開した。
[秋山和夫]
『田辺貞之助訳『彼方』(1975・東京創元社)』
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…しかし,この小説論は,その極端な立論を通して,少なくとも,素朴な熱情にも似た科学への信仰を共有することによって時代精神に適合した自然主義の一面,この文学思想の根底にある科学主義志向を最も端的に表し伝えている点で,自然主義の代表的文学理論の一つに数えられる。 1870年代の半ばごろからゾラの周辺に集まった自然主義派の若い作家たちは,会合の場所であったゾラの別荘がメダンにあったことから〈メダンのグループ〉と呼ばれるが,これに属するモーパッサン,J.K.ユイスマンス,H.セアール,L.エニック,P.アレクシの5人は,1880年,首領格のゾラとともにおのおの1編ずつの短編を持ち寄って作品集《メダンの夕べ》を公刊し,自然主義文学派の存在を強く印象づけた。これらの作家たちのほかに,自然主義派ないしそれに近い作家としては,日本にも早くから紹介されたA.ドーデ,O.ミルボー,劇作家H.F.ベックらがいる。…
…そのほか,象徴主義という名称がまだ一般化する以前に,象徴主義的な傾向と無縁でなかった詩人として,クロス,コルビエール,ヌーボーGermain Nouveau(1851‐1920)の名があげられる(また,当時はまったく知られていなかったが,ロートレアモンも,象徴主義の縁辺に置くにふさわしい名である)。 1860年代,70年代を通じて,しだいに地歩を固めてきたこうした新しい文学が,多少とも広く知られる機会をつくったのは,84年に発表されたユイスマンスの《さかしまÀ rebours》である。愚劣,猥雑な現実社会に背を向け,孤独な生活にひきこもって夢想に耽り,美を享楽する人物を主人公として,それ自体が象徴主義のひとつの側面を濃厚に体現したこの小説のなかで,ボードレール,ベルレーヌ,マラルメの詩が熱烈に紹介された。…
…このような状況の中で,一方には依然として人間社会の進歩・発展を信じる根強いオプティミズムが支配的であったが,しかし同時に他方では,19世紀の精神界に底流としてあったいくつかの傾き,たとえば,バイロンやハイネ,ミュッセ,レオパルディなどのロマン主義における〈世界苦〉の思想と文明へのペシミスティックな懐疑,あるいはポーやボードレールに典型をみた俗流市民モラルへの嫌悪・反発とみずからをそれから区別するダンディズム,さらにはニーチェがワーグナーの音楽の中にみた官能的陶酔への意志といったものが,急速に人々をとらえていった。 より具体的には,文学におけるユイスマンスの《さかしま》(1884)やO.ワイルドの《ドリアン・グレーの肖像》(1891)などの主人公がモデルといえる。ともに感覚と神経が敏感で,洗練性,優雅さ,並外れていることに熱中し,たえず精妙な審美的刺激を求め,人工楽園じみた夢想の世界に閉じこもりたがるのである。…
…マラルメもヌーボーGermain Nouveauも,好んでデカダンスの語を使っている。 しかしそれらのなかでも,もっとも広範な影響を青年たちに与え,デカダン派を当時の主流であった自然主義と高踏派の流れから切り離し,その進むべき方向を明示したのは,〈デカダンスの聖書〉と呼ばれたユイスマンスの小説《さかしま》(1884)であった。《さかしま》の神経症的な主人公デゼッサントDes Esseintesのモデルは実在する貴族詩人モンテスキューRobert de Montesquiouだといわれているが,必ずしもそう考えなくてもよい。…
…宝石を歌った詩人として16世紀フランスのベローRemi Belleau,17世紀ドイツのアンゲルス・ジレージウスの名を挙げておこう。19世紀末フランスの作家ユイスマンスも逸すべからざる人で,その作品《さかしま》《大伽藍》で宝石について論じている。日本の江戸時代に,初めて鉱物に関する本《雲根志》を出版した石の収集家,近江の木内石亭の名も忘れずに記しておこう。…
…この方面ではとくに文学や美術や舞踏などの創作にみるべきものが現れている。19世紀末の魔術運動にみずから参加したJ.K.ユイスマンス,A.マッケン,B.リットンらの作家は,魔術そのものを文学の主題に据え,儀式魔術の美学的特性を大いに喧伝した。またタロットが新しくデザインされ,ラファエル前派やフランス象徴主義が隆盛を極めたのもこの時期にあたる。…
※「ユイスマンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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