コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ユグルタ ユグルタ Jugurtha

4件 の用語解説(ユグルタの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ユグルタ
ユグルタ
Jugurtha

[生]前160頃
[没]前104. ローマ
北アフリカヌミディアの王 (在位前 118~105) 。ローマ帝国の属国であったヌミディアミキプサの甥であったが,ローマ軍に従軍して元老たちと親交を結び,その力で伯父王ミキプサの養子となり,その死後,前 118年2人のいとことともに王国を統治。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

ユグルタ

古代北アフリカのヌミディア王。建国者マシニッサMasinissa(前238年―前148年)の孫。次王ミキプサの遺児との内紛をきっかけに対ローマ戦争(ユグルタ戦争)を開始,メテルスマリウスを迎え討ったが捕らえられ,処刑された。
→関連項目スラ

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ユグルタ【Jugurtha】

?‐前104
古代ヌミディア王。マシニッサの孫。伯父王ミキプサMicipsaの時代にヌミディアからの援軍指揮官としてヌマンティア攻囲戦に参加(前133),小スキピオに認められ,ローマの名門貴族に知己を得た。伯父の死後,その遺児アドヘルバルAdherbalヒエムプサルHiempsalとともに王位に就いたが,ミキプサの政策の変更を唱えて二人と対立,内戦となる(前118)。ローマの調停で王国を折半した後も紛争は続き,ユグルタは元老院に逆らってアドヘルバルを打倒(前112),ローマは宣戦布告する(ユグルタ戦争)。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ユグルタ
ゆぐるた
Jugurtha
(?―前104)

北アフリカのヌミディア王(在位前118~前104)。ヌミディアの王ミキプサの甥(おい)であったユグルタは、王の実子らと並ぶ王位継承予定者となっていたが、王の死(前118)後、旧来の対ローマ従属政策からの転換を目ざし、反体制派を糾合して王の実子らと対立。内戦のすえ、単独支配者となった。この間ユグルタは、ローマの介入を防ぐべく元老院内の知己を通じてローマ政界工作を進めた。これがかえってローマ民衆派の反元老院・反ユグルタ運動を招く結果となり、紀元前111年、ついにローマとの全面戦争に突入(ユグルタ戦争)した。緒戦においてはしばしばローマ軍を窮地に陥れ、いったんは停戦に持ち込んだものの、ローマ側の戦争遂行体制が固まるにつれて戦局は不利となった。とりわけ前107年マリウスがローマ軍司令官となるに及んで、ユグルタはヌミディア国内の拠点を失った。前105年、同盟者であるマウレタニア国王ボックスBocchusの裏切りによりローマ軍に引き渡され、処刑された。[栗田伸子]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ユグルタの関連キーワードヌミディアマシニッサドゥッガミディアムレアM10 ミディアム珈琲たいむ ミディアムユバ[2世]ヌミディア人ロンバルディア王国ニッサのパルティア要塞群

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone