改訂新版 世界大百科事典 「リヒテンベルク」の意味・わかりやすい解説
リヒテンベルク
Georg Christoph Lichtenberg
生没年:1742-99
ドイツ啓蒙主義時代の一側面を代表する物理学者で作家。ダルムシュタット近郊の牧師の子として生まれ,ゲッティンゲン大学で数学,物理学,天文学を学ぶと同時に文筆にも手を染め,1769年以後は同大学の教授として実験物理学の分野に優れた功績を残した。その一つに1777年に発表された〈リヒテンベルク図形〉と呼ばれる絶縁板上に現れる放電図形の発見がある。
しかし,リヒテンベルクの名を不朽にしているのは,文学作品である。1777年以降は雑誌《ゲッティンゲンの手帳》を,またその後には《科学と文学のゲッティンゲン誌》を刊行し,自然科学や哲学に関する幾多の論説を発表,啓蒙運動に努めた。《イギリスからの手紙》や《ホガースのエッチングについて》などにも見られるとおり,イギリスの先進的で開放的な科学および社会思想,さらには美術・文学に影響されたリヒテンベルクは,自然科学者として汎ヨーロッパ的な啓蒙思潮の中に息づきながら,いわゆるせむしという宿命を負いつつドイツの閉鎖的な一小都市に生活して,当時の文化人の感傷主義や天才主義に対抗したが,こうした時代の矛盾と分裂のみならず先駆的な自己観察を,鋭い批判的な知性で表現しているのが,日記の中に記された数多くのアフォリズムである。〈空中で溺れ死んだ魚〉〈人間は世界中のあらゆる動物の中で最も猿に近い〉〈教会の中で説教が行われているからと言って,教会の避雷針が要(い)らなくなるわけではない〉などの例によっても,軽妙な機知,意表をつく発想,攻撃的な社会参加の様態がうかがわれよう。
執筆者:辻 瑆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報