ルドン(読み)るどん(その他表記)Odilon Redon

デジタル大辞泉 「ルドン」の意味・読み・例文・類語

ルドン(Odilon Redon)

[1840~1916]フランス画家版画家。象徴派の文学者たちと親交をもち、暗示性に富む神秘的な画風を確立した。

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精選版 日本国語大辞典 「ルドン」の意味・読み・例文・類語

ルドン

  1. ( Odilon Redon オディロン━ ) フランスの画家、版画家。象徴主義文学の影響を強く受け、幻想あふれる作風で、白黒の木炭画石版画を製作。後期には油彩パステルによる色彩豊かな作品に移った。(一八四〇‐一九一六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルドン」の意味・わかりやすい解説

ルドン
るどん
Odilon Redon
(1840―1916)

フランスの画家、版画家。ボルドーに生まれる。生後まもなくジロンド県のペイルルバードに里子に出され、ここでの孤独な少年時代がルドンの幻想の源となった。11歳でボルドーの両親の家に戻り、15歳のときから水彩画家スタニスラス・ゴランにつき本格的な絵の勉強を始めたが、幻想の版画家ブレダンRodolphe Bresdin(1822/1825―1885)や植物学者アルマン・クラボーに出会ったことが、ルドンの芸術に決定的な影響を与えた。ルドンが世間的な注目を浴びるのは、最初の石版画集『夢の中で』を出版する1879年まで待たねばならないが、その間、パリの美術学校でレオン・ジェロームの教室に学んだり、コローの影響を受けてバルビゾンに滞在して風景画を制作したりしている。ドガはルドンの石版画の黒の美しさを無上のものとして褒めたたえているが、ルドンがその芸術の大きな魅力となる石版画をつくるようになったのは、描きためた木炭画を利用するのに、ファンタン・ラトゥールの助言に従ったためといわれている。怪奇と幻想にあふれた『夢の中で』を出版して以来、『エドガー・ポーに』『ゴヤ賛』『聖アントワーヌの誘惑』などの石版画集が矢つぎばやに制作され、ユイスマンスマラルメなどの称賛を得ている。ルドンは50歳を過ぎるころから、油彩やパステルによる色彩の世界に入る。花や人物、神話などをテーマとしたルドンの色彩画は、それまで黒のなかに眠り続けていたものが突然に目覚めたかのように、無垢(むく)で純粋な美しさと神秘な光をたたえている。1916年、第一次世界大戦のさなかにパリで没した。

 印象主義の運動が盛んになり、外界の光を描写することに画家の目が向いていた時代、ひたすら心の内側に目を向けて独自の画境を開いたルドンの芸術は、世紀末の象徴主義や20世紀のシュルレアリスム先駆者として位置づけられることもある。自著に、没後出版された『私自身に』À soi-même(1922)、『ルドンの手紙』(1923)がある。

[染谷 滋]

『ルドン著、池辺一郎訳『ルドン 私自身に』(1983・みすず書房)』『粟津則雄著『ルドン――生と死の幻想』(1966・美術出版社)』『宮川淳解説『現代世界美術全集10 ルドン/ルソー』(1971・集英社)』『池辺一郎著『ルドン――夢の生涯』(1977・読売新聞社)』『土方定一監修『世界連作版画シリーズ2 ルドン連作版画聖アントワヌの誘惑』(1981・形象社)』『阿部良雄編『現代世界の美術6 ルドン』(1986・集英社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「ルドン」の意味・わかりやすい解説

ルドン
Odilon Redon
生没年:1840-1916

フランスの画家,版画家。象徴主義絵画を代表する一人で,シュルレアリスムを予告するような幻想的で神秘的なイメージを多用した。ボルドーに生まれ育つ。画家を志し,1863年パリに出てジェロームの私塾に入るが,そのアカデミックな指導になじめず,むしろレンブラント,ゴヤ,ドラクロア,コローなどの作品に感化された。これと前後してボルドーで出会った2人の風変りな人物がルドンに決定的な影響を与える。神秘主義的植物学者クラボーA.Clavaudからは,ボードレール,フローベール,ポー等の存在を知らされ,奇怪で幻想的な題材を好んだ放浪銅版画家ブレズダンからは版画の手ほどきを受け,また想像力を駆使することのたいせつさを教わった。こうして,客観的な〈目にみえる現実〉ではなく,想像的な〈感じとられた現実〉を重視するという,彼の基本的な芸術観ができあがり,それは初期の木炭画,リトグラフの,怪物たちのさまよう薄明の世界に反映している。長い間,ほとんど無名であったが,79年最初のリトグラフ集《夢の中で》を出版し,81年木炭画のみで最初の個展を開いてからは,ユイスマンス,エンヌカンÉ.Hennequin,マラルメなどデカダン派ないし象徴派の作家たちの支持をえた。以後たてつづけに,《エドガー・ポーに》(1882),《起源》(1883),《ゴヤ讃》(1885,96),《夜》(1886),《聖アントアーヌの誘惑》(1888),《ギュスターブ・フローベールに》(1889),《夢》(1891)など黒一色の中にも深い輝きを秘めたリトグラフ集を発表する一方で,第8回にして最後の印象派展(1886),〈レ・バン(二十人組)〉展(ブリュッセル,1886,90)に参加するなどしだいにその名声は高まり,94年にはデュラン=リュエル商会で大がかりな個展が開かれる。これに応じるように,それまでの黒一色の作品は姿を消し,鮮やかな色彩を主体にした瞑想的な油絵,パステル画が取って代わる。晩年は若い画家たちから巨匠視されたが,孤高のままパリで没した。著書に,幼年時代から晩年に至るまでの自己の内面をつづった《自身にÀ soi-même》(1922)がある。
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百科事典マイペディア 「ルドン」の意味・わかりやすい解説

ルドン

フランスの画家。ボルドー生れ。本名ベルトラン・ジャン・ルドンBertrand-Jean Redon。青年期に幻想の銅版画家ロドルフ・ブレズダン〔1825-1885〕,植物学者アルマン・クラボーから感化を受け,さらに詩人マラルメと交友。〈目に見える現実〉ではなく〈感じとられた現実〉を重んじ,怪奇な幻想をモノクロームの木炭画,石版画に表現する象徴主義的作品を制作した。晩年はパステルや油彩を用いて夢幻的なテーマを幽艶な色彩で描き,シュルレアリスムの先駆となった。代表作に石版画集《聖アントワーヌの誘惑》(1888年,1889年,1896年),銅版画集《悪の華》(1890年),油彩画《キュクロプス》(1898年―1900年,オッテルロー,クレーラー・ミュラー美術館蔵),パステル画《長首の壺の草花》(1912年,オルセー美術館蔵)などがある。
→関連項目アンデパンダン展世紀末ユイスマンス

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルドン」の意味・わかりやすい解説

ルドン
Redon, Odilon

[生]1840.4.20頃.ボルドー
[没]1916.7.6. パリ
フランスの画家,版画家。ボルドーで修業し,1871年パリに出る。 J.L.ジェロームや R.ブレダンの影響を受け,初期には単色のリトグラフ (石版画) で幻想的,神秘的な世界を生んだ。 S.マラルメ,J.K.ユイスマンス,E.A.ポーなど象徴主義作家の影響を受ける。 90年頃までもっぱら単色で制作したが,その後,夢幻的世界の効果を増すために色彩を採用し,文学的,神話的主題を華麗な幻想に高めた。晩年はパステル,水彩による作品を多く描き,特に花の絵でも名高い。世紀末の象徴主義者としてシュルレアリスムにも影響を与えた。主要作品はリトグラフ集『夢のなかで』 (1879) ,『ベニスの帆船』 (1906) ,『アネモネの花』 (08) 。

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世界大百科事典(旧版)内のルドンの言及

【象徴主義】より

…彼は絵画を,文字で表記される音声言語に対して〈造形言語〉であると考え,自己の観念を表現する媒体として用いた。また,ルドンも,現実にないものの表現に憑かれた画家であった。彼の処女版画集(1879)は《夢の中で》と題され,夢や幻影を視覚化することにより,内なる世界の表明を試みている。…

※「ルドン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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