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ルーボア ルーボアLouvois, François-Michel Le Tellier, Marquis de

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルーボア
Louvois, François-Michel Le Tellier, Marquis de

[生]1639.1.18. パリ
[没]1691.7.16. ベルサイユ
フランスの政治家。 M.ル・テリエの息子。 1655年父の跡を継いで軍務につき,名将テュレンヌ子爵の死 (1675) 後は名実ともに軍事最高責任者となり,77年陸軍卿。以後,国王任命による士官のポストを設けて指揮系列を厳格に定め,平民も場合によっては最高階級にまで到達できる制度を創設,88年には各聖堂区から兵士を選ぶ「民兵制」を導入するなど兵制改革を推し進め,ヨーロッパ第1の陸軍をつくった。またドゥエ,メス,ストラスブールに砲術学校,パリに廃兵院を創設。 J.コルベールのライバルとして郵政卿などを兼任し,ファルツ戦争 (89~97) を引起した併合政策など対外問題にも関与した。

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百科事典マイペディアの解説

ルーボア

ルイ14世の陸軍卿として名声高かったル・テリエMichel Le Tellier〔1603-1685〕の子。軍政に精通し若くして父を助け,1668年からは父に代わって陸軍卿。
→関連項目ルイ[14世]

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世界大百科事典 第2版の解説

ルーボア【François Michel Le Tellier de Louvois】

1639‐91
ルイ14世時代のフランスの重臣。年少の頃から陸軍卿であった父ル・テリエの仕事を手伝い,1668年より実質的に陸軍卿の職務を父より引き継いだ。72年より最高国務会議のメンバーに加えられ,国家の政策決定に参与した。国王ルイ14世に重く用いられ,やがてコルベールを押しのけて側近の第一人者となった。チュレンヌやコンデ親王など名門貴族出身の名だたる武将が戦場で華々しい活躍をしたのに対し,文官であるルーボアは軍隊組織の改革を精力的に進め,フランスを当時ヨーロッパ第一の陸軍国に仕立て上げた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルーボア
るーぼあ
Franois Michel Le Tellier, marquis de Louvois
(1639―1691)

フランスの政治家。国務卿(きょう)ル・テリエの長子。1662年、陸軍卿の職を父から継承、軍政を一門で掌握し、ルイ14世の大陸制圧政策の推進役として王の信頼をかちえ、1672年国務卿となった。1675年、恒久的な王国軍隊の建設を企画し、従来大貴族や傭兵(ようへい)隊長に帰属していた個々の軍隊に、国王政府の軍隊監察官を介入させ、また平民出身者の高官昇進への途を開き、1688年には徴兵制による軍隊を創設した。それは、村ごとに一定の民兵を徴集し、一定期間訓練を行うという民兵制度であった。そのほか、砲術学校やパリ廃兵院を創設し、軍制を整備した。政敵コルベールに対抗し、1668年に郵政長官、1683年建築・技術・工業長官を兼任して勢力を伸ばし、外政にも手を広げ、併合政策を強行した。性格は強情で冷酷なところがあり、竜騎兵の新教徒改宗強要政策を進め、1685年ナントの王令(勅令)を廃止させ、また侵略したプファルツ地方を破壊、略奪して、プファルツ戦争(アウクスブルク同盟戦争)を誘発した。この戦争のさなか、国王の信頼も薄れたとき、1691年7月16日、脳卒中で死去した。[千葉治男]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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