ロッセリーノ(その他表記)Bernardo Rossellino

改訂新版 世界大百科事典 「ロッセリーノ」の意味・わかりやすい解説

ロッセリーノ
Bernardo Rossellino
生没年:1409-64

イタリア彫刻家フィレンツェ近郊の,大理石の産地セッティニャーノで生まれ,フィレンツェを中心にトスカナ地方で活動。建築も手がけた。代表作《レオナルド・ブルーニの墓》(1451)は,大理石の建築的構造体に彫刻を組み合わせたモニュメントで,背面は教会内壁と一体化している。これは,彫刻家である弟アントニオAntonio R.(1427-79)の《ポルトガル枢機卿の墓》(1466)をはじめ,15世紀後半から16世紀にかけて多く作られた壁龕(へきがん)型墓碑の最初の本格的作品である。兄弟は,L.ギベルティやドナテロ等15世紀前半の彫刻家たちの古典的な端正さを継承しているが,より流麗であり,新しい世代の好みを示している。
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百科事典マイペディア 「ロッセリーノ」の意味・わかりやすい解説

ロッセリーノ[兄弟]【ロッセリーノ】

イタリア・ルネサンス期にフィレンツェで活躍した芸術家兄弟。兄ベルナルドBernardo Rossellino〔1409-1464〕は建築家,彫刻家。アルベルティの設計に従ってフィレンツェのルチェラーイ宮を建築し,ピエンツァのピッコロミーニ宮を設計,建築。彫刻では,サンタクローチェ聖堂の《レオナルド・ブルーニ墓碑》(1484年―1450年ころ)を制作した。弟のアントニオAntonio Rossellino〔1427-1479〕は彫刻家で,洗練された古典的様式を展開。代表作に,フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂の《ポルトガル枢機卿の墓》(1461年―1477年)のほか,多くのマリア像がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロッセリーノ」の意味・わかりやすい解説

ロッセリーノ
Rossellino, Bernardo

[生]1409. セッティニャーノ
[没]1464.9.23. フィレンツェ
イタリア,フィレンツェ派の彫刻家,建築家。長く建築家アルベルティの助手をつとめ,フィレンツェの大聖堂やシエナパラッツォ・プブリコの装飾に従事。フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂の『レオナルド・ブルーニ墓碑』 (1444~50) ではドナテロ流の熟練と構成の新しい明確化によって,フィレンツェ記念墓碑の定型を案出した。またサン・テジディオ聖堂の壁面祭壇 (49~50) を制作。建築家としては,ピエンツァの都市計画,パラッツォ・ピッコロミニの造営,ピッコロミニ広場の設計,ローマにおけるサン・ピエトロ大聖堂の改築などがあげられる。

ロッセリーノ
Rossellino, Antonio

[生]1427. セッティニャーノ
[没]1479. フィレンツェ
イタリア,フィレンツェ派の彫刻家。 B.ロッセリーノの弟。初め兄の手伝いをしながら学んだ。作品はフィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂に制作した『ポルトガル枢機卿墓碑』 (1461~77) 。その他ナポリのモンテオリベート聖堂の墓碑をはじめ,バルジェロ国立美術館のマッテオ・パルミエーリ胸像 (68) などの肖像彫刻があり,その洗練された優雅な作風は,マヤーノ兄弟やミノ・ダ・フィエーゾレら当代の彫刻家に大きな影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロッセリーノ」の意味・わかりやすい解説

ロッセリーノ(Bernardo Rossellino)
ろっせりーの
Bernardo Rossellino
(1409―1464)

イタリア、ルネサンス期の彫刻家、建築家。本名はベルナルド・ディ・マッテオ・ガムバレリBernardo di Matteo Gambarelliで、アントニオの兄。フィレンツェの近郊セッティニャーノに生まれ、フィレンツェで没した。彫刻ではレオナルド・ブルーニの墓碑(1444~46。フィレンツェ、サンタ・クローチェ聖堂)がもっとも有名であり、15世紀後半に流行した壁面墓碑の原型となった。建築家としてはアルベルティの流れをくみ、パラッツォ・ルチェライの建設では彼の協力者として活躍した。ニコラウス5世のもとでサン・ピエトロ大聖堂の改築に着手、またピウス2世のためにピエンツァの都市を整備した。

[篠塚二三男]


ロッセリーノ(Antonio Rossellino)
ろっせりーの
Antonio Rossellino
(1427―1479)

イタリア、ルネサンス期の彫刻家。セッティニャーノに生まれ、フィレンツェで没した。かなり年長の兄ベルナルドのもとで修業。年記のある最初の作品ジョバンニ・ケリーニの胸像(1456。ロンドン)やマッテオ・パルミエーリの胸像(1466。フィレンツェ)などの肖像には大胆で生き生きとした写実性がみられる。もっとも重要な作品は、フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂のポルトガル枢機卿(すうききょう)の墓碑(1461~66)であり、古典的な優雅さと軽快な運動感とをみごとに融合させている。このほかナポリのモンテオリベートのマリア・ダラゴーナの墓碑や数多くの聖母子浮彫りを制作した。

[篠塚二三男]


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